KKのボイスドラマ体験記18特別編:2008年02月06日

 
 
■今回のお題:「“やる気”とリテイクについて」

 今回は、不特定多数向けというよりは当企画に参加していただいている関係各位(それもとりわけ声優さんたち)向けの内容です。はっきり言ってリスナーの方々にはどうでもいいようなことばっかりですと前置きます(2度前置くな)。

 そんなことよりちょっと聞いてくれよミナサン!
 先日きゅうさんから連絡があったのです。
 「片岡さんから自己リテイクが来たのである!!立てよ国民!!」といった内容(※7割がた実際の発言内容と異なります)で、KKはそれに思わず、奮起した国民としてジーク・ジオン!と叫んだということは言うまでもありません。
 
 いや実際そういう話が来ると顔がニヤけます。ありがたいものです。ギレン=きゅう総帥(誰)にアジられ(死語)なくても、勝手に奮起してしまうくらいのありがたさです。
 
 単に片岡さんとしては、「収録した内容が一部不満だったので、聞きなおしてみて改善バージョンを送りたくなった」ということなのでしょうが、この種の作業を自主的に行なってもらえるというのは企画者側にとって大きな意味を持つ、とKKは勝手に考えているのです。

 思えば、「リテイク」については過去に一度触れたことがあります。2006年11月の、第13回の体験記ネタがそれです。
 それを改めて読み返してみたんですが……長ェよ!!(自滅)
 
 あれからまる1年以上経ってしまっているものの、基本的に思うところとスタンスに変化はありません。が、それに今回は、「“やる気”という観点からリテイク、とは(当企画のような制作形態の場合)どうあるべきか」についてKKの考え方をつらつらと並べてみたいと思います。
 

■前出「リテイクについて」のおさらい
 前に書いたことと重なりますが、当企画としては、以下の条件に合致しない限り「積極的にリテイクを要請しない」というスタンスをとっています。そう、例のアレです(どれ)。

<ほぼリテイクが発生する条件> 
・台本の漢字、用語、語句の読み違い。勘違いがあった場合。
・同一台本内における、特定の語句の読みに揺れがあった場合(手榴弾:しゅりゅうだん/てりゅうだん・女官:にょかん/じょかん などと同一台本内で読みが揺れたとき)

<リテイクとなる場合がある条件>
・前後の台詞をつないでみて、同一場面で広く複数の台詞にまたがって、声優Aと声優Bの演技に温度差が感じられた場合(声優Aが想定よりも明るく演技し、声優Bが想定よりも沈み気味に演技した、などの大きな差ができて掛け合いが成立しなくなった場合など)。
・企画者がつないでみた時点で、突如「これならばもしやこうすればさらによくなるのでは?!」という意志を抑えられなくなって、つい追加収録をかねて一部台詞の変更などをお願いしてしまった場合

 要するに、オンラインオンリーの、文字ベースのやり取り前提な当企画の場合、企画者の感情的・直感的・感覚的ニュアンスのすべてを声優さんに伝えられない以上、リテイクを企画者側から要請するのはメリットよりもデメリットが大きい、という話でした。
 
 でもこれ、あれだけ長い文章の中でも踏み込んで触れていない点があったんです。それは、「声優さんの側から自発的にリテイクを出してきた場合はどうか」という想定。
 
 これはね、大歓迎デス(即)。
 ええもう、手揉みしたくなるくらいにジーク・ジオン!!てなものなのです(どんなん)。
 
 前回の「リテイクについて」では、要するにウチのような制作形態では、企画者側から声優さんをリテイクという形で何度も拘束するような真似はできない、というようなことを言っているのですが、申し出ていただける分には話がぜんぜん違ってきます。


■当企画における「やる気」の捉え方とは?
 やる気。というものは、(その内容・量において著しく受注者側に負担になるようなものであれば)発注側が何の対価もなく受注者に要求するようなものではない。というのがKKの信条なのですが(「マナーについて」でそのあたりいろいろ書いたような)、強制でも脅迫でも義務でも宿題でも責任でもなく、ただ、自分がやりたいからやりました。というような自発的な労務・作業といったものが相手から出てくるとKKはムダに喜んで転げまわります。

 「リテイクは(積極的には)要求しない」だの「やる気云々を要求しない」だのと言っていると、なんかテンションの低い平坦な野郎だなと思われるかもしれませんが(実際そう見られますが)、自発的にいろいろやってくれる方には、こちらから要求しない分KKはかなり根に持ち(誤用)ます。
 「それをやろうがやるまいがその人自身にさほど利益があるわけでもなく、またそうすることによって得られるのであろう利益と比べて、労務にかかる時間的・技術的・肉体的・金銭的負担の割合が大きいであろうに、それでもあえて自発的に踏み込んできてくれたと想定できる人」には、必ず返さなければならない。この恩は忘れぬだけではなく何らかのカタチにして返す。というテンションに染まり、目からビームが出ます(出すな)。
 とはいっても、オンライン上のみのやり取りでは、返せるモノも限られていますので、選択肢は狭まりますが借りっぱなしのまま忘れるわけにはいかねえ、というテンションになることには違いがありません。そして隙を見て何らかのカタチで返す。
 
 実は相手にしてみれば、大したことない、とか、実は何も考えずになんとなくやってみました、とかいう話でしかなく、KKが勝手によろこんでお返しお返しーとか浮足立っているだけということが多いのでしょうが……まぁ、一喜一憂というものがこういう方面には出てしまうんだもの仕方ないじゃん(逃)てなもんです。
 
 だからと言って全員自己リテイクを出すべきだ、なんてことは「もちろん」ありません。
 「みんながやっているからやらなきゃ」的義務感、ある種の強迫観念から横並び目的にやりたくもないことをやられるくらいなら、発注受注関係上発生した義務的な初回の一発さえきっちり出していただければ、こちらとしてはそれだけでももう十二分なのです。
 やる気、っていうのは、「やる気があるかた」とかいって、募集するときに発注側(企画者)が相手に要求するものではなく、「もしかしたらそこまで要求していないのかもしれないが、しかしここはこだわって押してみたい」というような、受注側のこだわり、向上心、試行錯誤といった部分でのみ「あとから結果的に」見えてくるものだとKKは考えています。
 なので、試用期間というのはかなり大事だと思うのです。
 んな50年60年社会で揉まれていた老兵ならまだしも、書類一発、紙切れひとつ、面接の一回やそこらで人間一人を簡単に見定められるかっつーの(話違)。


■自己リテイク=必須ではないというお話
 自己リテイクについては、必ずしもそうしなければならないわけではないという話に関連して。
 たとえば黒たんこと黒夢師役のあいごんさんの場合、最初から複数のバージョンを収録するという方法で複数の選択肢をあらかじめ準備しているので、もとより発注側からリテイクを求める確率は低いです。
 もちろん、あらかじめ複数バージョン収録したところで、前後関係などから結局リテイクをしてもらわざるを得なくなることもあるとは思いますが、だからと言って「自己リテイクしねえ!>やる気がねえ」なんて言うのがいかに的外れかということは誰にでもお分かりいただけるでしょう。
 また、リテイクに備えていようがいまいが、ともかく、「かなり苦労しただろうなここの部分」と思われるような、それ以上ちょっと安易に求められないというようなレベルに仕上げて収録してくれているブツなどは、「もとより」無理してリテイクするような余地がないというものも当然あります。
 リテイク云々の前にすでに十二分存分に注力してくれているということが伝わるモノであれば、多少台本を書いた側の意図や想像とは違う演技であっても、「おおおこう解釈したかあああ!!(驚)」と演者の解釈を優先させるべきで、些細なKKの意図や想定なんざこの際どうでもいい話でしかありません。
 これで、明確なる営利の、それもすんごく利害関係・目的がはっきりしているCMの撮影みたいに、ものすごく短い時間に宣伝したい製品などを明確に分かりやすく表出させなければならないといった縛りがあれば、むろん些細なことで何度となくリテイクをするというのはアリです。リテイクそのものを否定しているのではなく、「ウチの企画における制作形態と規模から見れば、こちらから些細な感覚的リテイクを要求するのはデメリットのほうが大きい」ということでしかないので、ほかの企画ではこの考え方は当てはまらないところのほうが多いでしょう。


■リテイク、におけるやる気との関係
 また当企画のようなスタンスであっても、自己リテイクについてどう捉えるか、については、ご協力していただいている方のテンションや方針、主義、当企画の出演がその方の中に占める割合、などによっていくらでも変わってきます。なのでどのみち一概にどうすべきか、どうしてくれ、とこちらから強要するようなことではありません。
 ええ。ですから、「この作品を愛してくださる方」なんつー「信者募集」と「恋人募集」などとはき違えているようなこっぱずかしいことなど微塵も言うつもりはありませんし、また「(受注側が)自己リテイクしない>それほど熱意がない」だの、「リテイクを発注側が積極的に行わない>(発注側に)やる気がない」だのということではなく、相互の立ち位置によっていくらでもとらえ方は変わりうるので、あっさりレッテルをはったり貼られたりというのは避けるべきだと主張しておきたいのです。
 
 そもそも自己リテイクは、自発的に声優さん自身が「あ、あれはもっとこうできたほうがそのキャラっぽい!!」と役作り上考えた結果のものであればありがたく受け取れるのですが、その種の明確な目的や意識なく、ただリテイクのためだけにリテイクするということであればその分ほかのことに注力してくださいと言わざるを得ません。

 もし仮に、やっつけ仕事で手を抜いてしまったか、たまたま体調が悪かったか、プライベートなことが無意識に演技に出てしまっていたかしてしまった場合でも。
 その種の事情は誰にでもありますし、それさえも当人がまったく自覚できないことなど世の中生きていればいくらでもあります。
 当人でさえも自覚できないようなレベルのことを、目の前にいるわけでもない企画者が、些細な感覚上の「イメージ」とやらを押しとおすために何度もやり直しをさせるということ自体が、当企画ほどの長さ・規模ともなるとまったく現実的ではないし、そもそもそこまで他人を隷属化させられるほどボイドラの企画者はエラくもなんともありません。
 出演していただいている方が、後から聞いてみて「ここは、もっとああすべきだったかな」と思ったりしても「まぁいいや」と流せる程度のものなら、こちらにしてもだいたい「まぁいいや」とできる範囲であることが多いでしょうし、その方が「こんなのが世に公開されると自分のプライドが許せない。自分はもっとできる子!」とか「あれおかしいなこんなの収録したっけ? これじゃ(声優としての)ネームバリューが下がっちゃうなぁ……」とか自発的に思うほどその技量を磨くことに積極的であれば、そういう方からの自己リテイクにこそ価値があるとKKは考えます。

■もう少し踏み込んだ「やる気」考。 
 「やる気」について現在進行中の第5話後編における別の事例としては、今回、二等兵時代のキサラギが初陣で経験する共和国軍兵士との戦闘シーンが目玉(?)で、その共和国軍兵士についてはKKが勝手に捏造したウソ言語(笑)を叫ばされるという、かなり難しい演技を迫られた方が複数居りました。
 4名もこの難解極まりない役を受けてくださったというのはKKにしてみればそれだけでも「うおお、ありがてえええ!」てなものでして、それだけでも実はもうかなりお礼しなくちゃテンションが高まっているのですが。
 その中になんと二人も! 収録された共和国軍兵士のボイスに、「こちらから要求していない」部分の追加収録をしてくれていた方が居り、これがまたキきました。
 実際叫び系、やられ系、修羅場系(?)のボイスは編集作業上間の取り方などから、いくつか台本外のものも要るわこりゃ、となりやすいということをきゅう氏が今回の作業で痛感しており、共和国軍兵士については追加収録依頼を出さねばならぬ状態にまでなってしまっていたのです。
 が、こういうときも、いくつかカユイ所に手が届きそうな素材を一緒に収録していただいたというのは「おっ、覚えてろよー!!」(誤用)てなくらいにありがたいことでした。
 一見、どっか別のセリフから切り取ればよいと思えるような、「うっ」とか「はぁ、はぁっ!」とかの短い息遣い、呼吸系、感嘆系のセリフって、後から編集作業に入った時点で突然追加で必要になることがあります。
 台本上では十分にそういうのを書き込んだつもりだったのに、イザつなげてみたり、曲の切れ目や場面転換、効果音との関連などから、じっさい一通り仮組みした段階で「ここは何か追加でほしい」となることが大変多い。そういうときに、今回の共和国軍兵士役の方からもらった「自己追加素材」というのは、それこそ前出の「もしかしたらそこまで(企画者側が)要求していないのかもしれないが、しかしここはこだわって押してみたい」といった種類の熱意を感じるだけに、KKはこういうのこそ「やる気」じゃないかなぁと思うのです。
 これにしたって、実はフタを開ければ、「いやただ単にヒマだったからでしかないから」とか、「何気なくついやっちゃったー」とかそういう軽いノリでしかなかったのかもしれません。が、動機がどうあれ、こちらからの要求以上に何かを応えてくれたということがあれば、それ自体が当企画にとって目に見えやすい+ありがたい「やる気」表出の一つだろうと思います。


■企画者の「やる気」表現は?
 逆に、企画者側の「やる気」を表現するにあたっても、その種のものは要求されて出すものでもなければ、積極的にやる気があるということを他人に押し付けたり受け入れさせたりするようなものでもないので、こればかりはこちらの期待とはまったく別次元の、他の人が判断することでしかないと思っています。
 ここでKKが「きゅう総帥はすげえよなぁ。毎日毎日コツコツ制作日記を付けつつジワジワとブツを積み重ねていってるよ。いやホントすげえやる気だ。これなら地球連邦軍も手を挙げるさ(謎)」とか感じるほどすさまじい「やる気」を感じていても、それらは実際に口先だけではなく実績までも目に見えるカタチで積み上げ続けているからこそそう評価できるのであって、いくらきゅうさんが普段から「やる気あります!!」とか連呼していても、単に言っているだけなら、話半分、いって七割くらいなもので、そのやる気あります発言自体には説得力はまるでありません。せめて、「これこれこういう計画と方針と準備をしたのだが、どうよ?」といった方針や準備を伴った「やる気」発言ならばともかく、その種のものが伝わらなければただの「言っているだけ」でしかありません。
 
 そもそも、「やる気」を表現するのに、上っ面の言葉だけ、態度だけであれこれ判断して決めるという行為は、お子様のお遊び世界ならともかく、成人した大人のやり取りにおいては、まず短慮の二文字で表現されてしまいます。
 それにしても、世間を見回せば、この狭いボイドラ業界に限った話だけでも、やたらとこう、企画者の「やる気」とやらを強調宣伝したがる方が目につきます。
 しつこいですけど、リアルお子様・未成年はまぁそれでもいいんです。ない時間削って技量を磨くとか、時給換算で自分は今生活上いくらの能力があるのかといったことを頭に置いた上でもなお、趣味的分野での経験を積みたいとか、何か作って表現したいとか、そういう社会人視点の目的よりも、未成年は大人と違ってまだ、お友達づくりとか楽しい作業のひと時を求めるとかそういうのがメインの方が圧倒的多数派でしょうし、実際そういう動機や目的でも、未成年同士のことならまったく何の問題もないと思います。
 なので、未成年が表面上だけの言葉だけでも信用したとか裏切られたとかそういう場数を多く踏まねばそもそも経験そのものを積めない以上、上っ面だけのことであろうが相手を妄信したり、親の敵のようにレッテル貼ったりってのは割とあって当たり前です。
 が、なんかよく見れば社会人らしいのに、その種のお子様感覚丸出しなのが見えてしまっている方が少なくないのがもうなんとも。
 ここで仮にきゅうさんが、「やる気はあります!!この企画に愛があります!!命かけてます!!」とか普段から連呼していても、実績を伴わないとか、企画関係者内外からの言葉とやらで「傷付きました」とか、その種の「他人から見てどうでもいい」ような個人的なことで脊髄反射しまくりだとかだったら、そんな宣言クソの役にも立ちません。むしろそういう主張をしていた分、お子様じみた人だと軽んじられるんじゃないかとしか思えませんが、どういうわけだかそういう企画を見付けてしまうだけにそのたびに我が目を疑わざるを得なくなります。

 やる気だの、愛だの、命かけてるかどうかだの、そんなもんは他人にとっちゃどうでもいいのです。その人の親兄弟でもなければ配偶者でもないような他人の「やる気」を起こさせるのに、企画者側からの過剰な「やる気あります」宣伝は逆効果でしかないような気がしてなりません。
 はっきり言って企画者の「やる気」を他人が受け入れるかどうかってのは、よほど前準備を積み重ねて、「これでどうよ?」とやる気の大きさを示せるだけのものを用意してあるか、もしくは実際コツコツ実績を作っていかなければ判断のしようがない。むしろそんなことを一言も出さず、態度や実績で「やる気」あると他人に認めさせる人のほうがよほど信頼できそうなものだとKKは思います。

■終わりに
 様々な動機や目的、方向性があるだろうに、当企画からの呼びかけに応じてくださった方々はそれぞれまったく個別の、誰ひとりとして同じ扱いにできない、すべきではない個性を持っており、それぞれの事情があった上で当企画に参加していただいていると思っております。
 なので、できれば何かといろいろこちらから出している依頼・要請に対して、よしなにご協力いただきたいという期待はあるにしても、音信不通になったら裏切り者だ!とか、締め切りを破ったら無責任だ!とか言う気はこれっぽっちもありません。
 当たり前ですが、ご協力いただいている方々の「やる気」について、こちらがどうこう強要したり、あああるべきこうあるべきと命じられる立場にないのは明白ですし、同時にまた我々企画者側も「やる気」関連に関して誰かに命じられたりする立場にもないのは明らかです。
 ですが、我々企画者が何らかの期待や希望を向けられているように、我々もまたご協力いただいている方々と一緒によいものを作っていこうという期待や希望を持っています。
 それゆえに、当企画の内容方針などについて何か思うところや引っかかることがあれば遠慮なく踏み込んできていただければ幸いです。耳を閉ざしたり、一方的な隷属や服従を求めるなどという関係からよいものはできません。

 もちろん、何かあったときには、当企画が頓挫しないように代替案を模索してその場その場で最適な解を見付けつつ進んでいくためには、粛々と、かつ淡々と個々の事象に対処していくほかありません。が、できることなら、あるいはあわよくば、当企画に加担(笑)してよかった、とまではいかずとも「トータルでプラマイゼロ以上だったかな」程度にでも思っていただけるように進めていこうと思っております。
 そのためには、やはりたまには当企画の、きゅうさんとやんわり合意しているところの立ち位置、方向性といったものをどこか一部でも含んでおいていただければと思います。

 また、ここまで読んでくれたリスナーの方々(いねえよ)、あるいは当企画作品の中身を聞いてもいないのに当企画の読み物にだけはものすごい関心を持って読んでくださる方(笑)も、いろいろご意見やご主張があればぜひお寄せください。
 
文責:企画者第二号KK