KKのボイスドラマ体験記22特別編:2008年09月05日

 
 
ボイスドラマ業界のふしぎシリーズ

■はじめに
 最近またいくつかボイスドラマ作品に触れる機会がありました。
 今までメインに聞いていたような当企画の出演者が関係するものに限らず、きゅうさんにピックアップしてもらったモノをいくつか聞くようになると、とても参考になる技術・表現に遭遇する機会が広がるので、この種のリサーチは欠かせません。
 同時に、作品の内容にかかわらず、そういったWebサイトに掲出されている文言や構成に、ある種の業界独特とも言えるパターンがあることが見えてきました。
 それは、出演者の演技力や、作中の編集手法などにのみ注目していると きは気付かなかったのに、一度 トップページなどにある文言などに着目していろいろ気になりだすと「業界特有世界が広がっているなぁ」と 思わざるをえないような「発見」だったのです。

 「 同一人物や関係者が運営しているわけでもないのに、多くの企画Webサイト上に似たような文言があちこちにある」
 
 しかもそれは、三つや四つの企画だけのことではないのです。
 このボイドラ業界の企画サイトではなぜこんな文言をみんなして使っているんだろう??……と思っていたら、それがこの業界ではどうやら「標準」らしいということに遅まきながら気付きました。
 しかしその「業界標準」ってどうなのよ? とツッコむのが今回のネタです。
 

■今回のお題

 「〜は禁止します。」
 「ボイスドラマという言葉に嫌悪感を抱く方は入室をご遠慮ください」


 こういった書き出しを、トップページや「はじめにお読みください」的ページに掲げているところって、ボイドラ業界の企画Webサイトではお約束のように見かけませんか?
 じっさい、意識的にその種の文言に目を向けるようにしてみると、あるわあるわ。似たような文言があちこちのトップページなどで見られます。
 それも、トップページや「はじめにお読みください」「必ずお読みください」的ページに 、わざわざ別コーナーとして明示しているところもあります。
 しかもそうしたページの中には、どこを熟読せよとかいった「指示」が書いてあるようなものがこの業界のボイドラには少なくないということに気付きました。
 まぁ、気付いたところで自分の場合は、どのみちその種の文言があろうがなかろうが、「だからなんだ」ってな話でしかないのですが、よく見てみると、本当にいろいろと「〜は禁止」だの「〜にブックマークをしてください」だのとあれこれ指示・お願い・「ご遠慮ください」といったものをやたらと掲げている方が多いのが目に付きます。
 最初、そうしたものはほんの一部のごく奇特な方のギャグかなにかのつもりかと思っていたものが、どうもそうではない、どころか「業界標準」になっているのではなかろうかと思うくらい誰でもやっていることに気付いた時は二重に驚いたものです。ええ。今更ですが。
 
 これもまた、ボイドラ企画における声優さんの募集に関して以前ネタにした「マナーについて」で感じた ような、ボイドラ業界特有のフシギ(というより不気味な)「業界標準」らしきものの一つです。

 「え? これがなんでフシギなの??」とか思った方向けというより、「そうだよ不思議なのに、なんでこんなのがまかり通ってんだ?」と思っていた方のほうが読みやすいかもしれませんが、どちらの方でもどちらでもなくても、まぁ一つこの話題についてKKが何を考えたかについてお付き合いください。
 主に独立した社会人以上の大人を対象とした文章なので、学生さんやリアル未成年な方の場合は、法律上の立場・扱いについてかなりの部分 で適宜読み替える必要がありますが、「心意気だけはもう要保護者卒業です」てな方はそのまんま読み替えずに読んでいただいてもオッケーかと思います。
 

■「〜な方は入室をご遠慮ください」という呪文付きトップページの世界
 ボイドラ企画に限ったことではないようですが、どうにも狭い同人世界の人々のWebサイトを見ていると、トップページに以下のようなことが書いてあります。
 
例1:「ネット声優という言葉に嫌悪感を抱く方は、入室をご遠慮願います。」
 
例2:「荒らし目的の方、中傷する気満々の方は、入室をご遠慮ください。」

 例1、2ともに言っていることはほぼ同じという点で大した違いはありませんが、見かたによってはかなり奇妙な書き出しに見えます。
 なぜなら、これらのWebサイトは、WWW上に広く誰でもアクセスできるような環境にあるものなのに、「私的空間における私的自由を満たすための私的要求」を公的空間において不特定の第三者に向けているからです。
 といきなり結論を書きましたが、これだけで終わらせるとナンなのでこれからあれこれ踏み込んでみましょう。

 もしかすると「これの何が奇妙なんだ??」と思う方のほうが多いかもしれません。
  公的な場でも、第三者が自分に合わせることを求めるのが常識、あるいは「マナー」だと思っている方は奇妙でもなんでもないことに見えるでしょう。しかし、ごく私的な場ではなく公的な場では、自分が第三者に合わせることも同時に求められています。
 しかし、本来「マナー」とは、誰かに強いたり要求したり脅迫したりすることなどではなく、自分が第三者に合わせるための指標に過ぎません。
 なのにこの業界、不思議なことに、「マナー」を他人に強く要求する人ほどこういった掲出をなさる傾向にあるような気がします。
 でもこれってむしろ、マナー違反「的」。

 え?
 どうしてこんなことがマナー違反になるの?って思いましたか?
 いえいえ、マナー違反「的」です。
 「マナー違反」とか「マナー」とか言うと、このボイドラ業界の場合、極度に業界内でしか通用しないような「専用マナー」と混同されてしまいそうなので、いわゆる世間一般で言う「常識」「公序良俗」といわれているものに抵触する、と読み替えていただいてもオッケーという意味を込めてマナー違反「的」としました。
 
 でも、なぜ世間一般的な常識に照らし合わせたり、公序良俗を考えたりしたうえで、例1、2のような文言が「マナー違反的」になるのでしょう?
 
 そのように疑問に思った方向けに、ある観点の存在をお伝えするものが以下にずらずらっとあります。
 別段疑問にも思わず「あーうん、こういうの掲げているほうがよっぽどマナーがなってねえよな」と思った方にはちょっと疲れる話になるかもしれません。


■プライベート空間と、パブリック空間における自由の範囲
 ちょっと想像してみてください。
 あなたは、たった今、ある建物の壁や屋根で囲まれた部屋の中で、一人でプライベートな時間を過ごしているとしましょう。
 しかもその建物は、あなたの資産とか所有物とかいうことにしてください。
 と言っても、保護者の方や配偶者の方などの別の方の名義で登記してあるところに、その同一世帯に住民登録してあるということでも、賃貸借契約が正常に成立している家屋内という場合でも、ここではほぼ同じことです。

 そういった条件の部屋内に居た場合をさすとき、一般的に「自分だけのスペース」「自分の場所」「プライベート空間」などと言い表わすことができます。
 そこでは、ボイドラを編集していようが、ガンプラを作っていようが、裸踊りしていようが、おにぎり握ろうがパスタ茹でようが、法律に反した行動でない限り、何をどのようにしていても、何人にも咎められません。
 趣味がどうあれ、好みがどうあれ、主張がどうあれ、その人の思想や内心の自由、行動は、原則として法律上尊重されています。……というか、法律上云々以前に、まぁだいたいお約束的常識として、これらのことはどんなに遅くとも成人するまでには理解できていないとお話になりません。
 
 話を単純化するためにも、ちょっと乱暴ですが「(誰かに何かを強いたり要請したり命令したりということ“ではなく”)個人という自己内で完結することであれば、法令に反しない限り自由」だと思ってください(念のため付記しておきますが、これは二十歳以上成人の話であって、未成年や保護者が必要な方はこの限りではありません。また、二十歳以上でも両親家族から独立していない学生さんなども、 個人の自由より扶養されているという要因に左右されうるというのは言うまでもありません)

 しかし逆に、誰かに何かを強いたり要請したり命令したりということになると、「世間一般的には」、個人の自由のみが通るということにはなりません。
 自分自身のみに影響を及ぼしうる、自己完結することではなく、たとえばそこに遊びに来ただけの友人に、「自分だけのプライベート空間」だからと言ってガンプラ作りを強要したり、ボイドラ編集を強制(笑)したりするということをしてしまうと、それは法的にも倫理的にもアウトということになります。
 そこでできるのは、「一緒にガンプラ作らない?」とかいった「提案」や「ガンプラ作ってよー」という「お願い」までで、それを相手が飲むかどうかは相手の自由です。
 「ガンプラを一緒に作らないなら、自分だけのプライベート空間に招待しない」という制限を予め部屋主が定めておいて、「どうする? 一緒にガンプラ作るなら部屋に入れてもいいけど」という条件を出し、相手がそれを飲んだ場合に初めてプライベート空間に入れるということならば、双方の意思を確認した上での同意ということになるので、(この場合は)とくに問題はないでしょう。
 
 と、当たり前のことを書き連ねられて、だんだん読むのが疲れてきたかと思いますが(こっちも疲れますが)、もう少しこのめんどうな話にお付き合いください。
 要は、「自分だけに関係することならば(公序良俗・法律に反しない限り)自分で好き勝手にしてオッケー。他人をどうこうするということとなると、好き勝手は通らない場合がある」という当たり前のことを再確認したいのです。
 
 では、先の例で、想定上「プライベート空間」での出来事だったものが、パブリックな空間で行なわれた場合はどうでしょう。
 パブリック=公的、オープン、誰でも自由に行き来できる場所、という意味では、先の例のような「プライベート空間」ではなく、公道や誰でも出入りできる公民館、公園、学校のような場所だとここでは想像してみてください。
 
 自分で登記した、誰の抵当権も入っていない個人所有の不動産の、壁で覆われたプライベートな空間ではなく、不特定多数が自由に行き来できる場所でボイドラ編集していたり、ガンプラ作ったり、パスタ茹でたりおにぎり握ったりとなると、それなりに周囲の自由や、そこの所有者・ほかの権利者も尊重した範囲でなければならなくなります。
 いろんな人の求められる利益・自由をなるべく平均化したり、その最大公約数的な領域を決めて、そこを著しく逸脱するようなのはアウトということにしましょうというのが法律や社会のルールだと思ってよいと思います(ほかにも様々な機能・要素はありますが)。
 
 たとえ自己完結の範囲だと思っていても、それが他人に著しい影響を与える場合は、自己完結の範囲ではなくなってしまいます。また、そこが元来その人の自由が及ぶ場所ではなく、他人の場所だったりすると、いくら自己完結していてもそこの所有者・権利を持った人の自由・権利が優先されることがあります。
 
 そのよい例が、プライベート空間ではまったくなんの問題もない裸踊りが、パブリックな空間で行なうと途端に犯罪として扱われうるというような、 軽犯罪法・都道府県条例などの存在です。
 裸踊りは個人の自由だ! と言っても、他人の前で裸体を晒すという行為が羞恥や嫌悪を呼ぶという要因が強かった時代に作られた法律・ルールが改正されずにまだ存在している以上、仮に「他人の前で全裸になって踊ってもいいじゃないか!」という人が増えてきても 現在はルール上アウトです。それはマナー以前に、「違法」「不法」だったりします。
 これが、「他人の前で全裸になって踊ってもいいんじゃね?」という価値観が日本国民の最大公約数かそれ以上の領域を占めるようになって、法律改正論議が進み、そのように法律が改正されたのだとしたら、他人の前(パブリック空間)で裸踊りをしていても問題ないということになります。
 このように社会のルール・常識・法律というものはそのときそのときの時代に応じて徐々に変化していくものなのです。
 が、現時点では裸踊りは私的空間では問題ない行為でも、公的空間で行なう場合は、まだ軽犯罪法で警察官に職質 (というか現行犯逮捕)されて当然という世相です。
 
 私的空間ではいくらでもできる行為でも、公的空間で同じようにできるとは限らない。
 これもなぜかこういうことになるのかということは、六法を読む以前の問題というか、なんというかもう考えるまでもない当たり前のことです。深く考えるまでもなければ、KKなんぞにつらつら並べられるまでもないことでしょう。

 という部分を踏まえた上で、もう一度、ようやくながら冒頭の例1、2に戻ってみます。


■例1:「ネット声優という言葉に嫌悪感を抱く方は、入室をご遠慮願います。」

 前提の一つとして、ボイドラ企画のWebサイトは、いわゆる「壁で囲まれた」ようなプライベートな空間かどうか、についてまず考えてみましょう。

 プライベート空間。
 先の例で想定したのは、自分「名義で登記してある不動産の地所内にある建物の壁で囲まれた部屋の中」という条件でした。これが借家だろうが親や配偶者の名義の不動産だろうがまぁ実はそこは大差ないです。
 赤の他人がズカズカと好きな時間に好きな方法で好きなように出入りできるという空間ではない「プライベート空間」の中では、この種の例1のような主張をしても少しくらいは説得力があります。
 ありますが、まぁそれでも普通、一般的に部屋の入口に「ガンプラという言葉に嫌悪感を抱く方は、入室をご遠慮願います」なんていうことを張り出している人がいれば十二分にデムパです。が、 そこに引っ掛かると話が進まないので(笑)それはあえてここでは置いて先に進みましょう。
 
 そのWebサイトが「自前サーバーや自前ネットワーク上に存在する」とかで、パスワードなどによって不特定多数が自由に閲覧できないように制限がなされている場合は、プライベート空間への入室を制限する根拠と条件を述べているので、これもまた個人の自由の範囲ということになり、プライベート空間で何をしようがオッケーということになるかもしれません。
 ……とはいえ、一般的な社会の中で、そんなの普通扉の外に掲出しているくらいのデムパさんは滅多なことではお目にかかれるものではありませんが。
 ただ、そのWebサイトがWWWという「誰でも自由にアクセスできる世界」に広く開放されているうえ、パスワードロックされているわけでもない、という場合となるとどうでしょう?
 
 自分の名義で登記してある地所であることだけでは、「プライベートな空間」を確保したことにはなりません。必要な条件の一つではありうるけれども、それだけで完全ではないということです。
 自分の土地だから何をしても自由だ! といくら主張しても、壁で囲っているわけでもなければ塀もない状態のフルオープンなところで裸踊りをしていたら、それが公道や隣家から見て十分普通に視認範囲となると大問題です。
 また、壁で囲っているわけでもないのに、一方的に「裸踊りに嫌悪感を抱く方はこちらのほうを見ることをご遠慮ください」とか言い出しても、公道を通る人や隣家の人は困ります。
 「じゃあ、壁で囲ってくれよ」と言われるか「地下室でも掘って見えないところでやってくれ」と要請されることになるでしょう。それ以前に法的にアウトなので、あまりにもその種のデムパな主張を通そうとすれば、そのうち取り締まられることになるかもしれませんが。
 
 ここまでだらだらと例を挙げれば、だいたいもうおなかいっぱいかと思いますが、例1のような状況というのは、「プライベート空間」の中でのみ有効な「他人の行動を規制しうる自由」を著しく逸脱した主張であり、いわゆる「余計な御世話」の一つになりうる「非常識」になりかねません。
 あるいは、これこそ「マナー違反」だと言い換えることもできるでしょうか。
 
 WWW上に広く公開されていて、不特定多数の人が接する可能性がある場において、一方的かつ個人的な利益のみを守るような内容の「他人に対する要請・命令」は意味がないばかりか、「マナー違反」、もしくは「お前にそんな権利はない」ということでまったくスルーされて当然の主張でしかないということです。
 スルーせずそういう主張を受け入れるという奇特な人もいるでしょうが、それは受け入れようが受け入れまいが、受け入れる側の判断で自由にできることであって、受け入れてもらいたい側の期待より、受け入れる側の判断に重きが置かれるべきことです。
 非合理・不法だと思っても、お友達だからワガママを聞いてあげよう、という人も居れば、非合理・不法とさえ思わずに漫然と受け入れる人もいるでしょう。ただ、それらをひとしく「非合理・不法だから受け入れない」という人にまで押し付けて「受け入れないのはマナー違反だ」と決め付けるのは、そのほうがよっぽど他人の自由を一方的に縛る「マナー違反」でしかありません。

 改めて繰り返しますが、パブリックな場において「対等な立場」であるWebサイト制作者・閲覧者との関係上、制作者側から出される「提案」や「お願い」の中身について、もし法的にも倫理的にも論理的にも妥当性がなければ、それを無視しようが「ことわる」と意志表示しようが、まるでなんの問題ありません。

 これもまた繰り返しになりますが、「プライベート空間」では、他人の行動を制限したり、こちらの要請・命令に従わない相手を排除したりということは可能な場合がありますが、パブリックな場でやるとなった瞬間、その人はジャイアンのような無法者か、あるいは駄々をこねているお子様の叫び声かということになりかねません。
 公共施設のただ中で、あるいはマンションなど不特定多数の住人が使用するエレベーター内で、「私の主張に不快感を抱く方はここの使用・通行をご遠慮ください」とか言い出したら、マナー違反以前に、そんなことを他人に強要する権利がその人にないばかりか、そんな主張を根拠に人に何らかの威圧を感じさせたり、損害を与えたり命令したりとなると法に触れるレベルの脅迫になりかねません。

 と、めんどくさい理屈を抜きにして。
 普通に、周りを見回してほしいのです。
 あなたの部屋の扉に。あるいは、学校のロッカーなどに、KKが「KKという名前に嫌悪感を抱く方の使用はご遠慮ください」とか掲出していると、「こいつどんなデムパを受信中なんだ……(汗)?」と多くの人々が唖然とするでしょう。
 というかKKの経験上では、もともと学校側の所有物・管理物であるロッカーについては、法律や社会のルール以前に、わざわざ個人が個別にそんな文言を掲げるまでもなくそれぞれがそれぞれのロッカーを使うに決まってんだろ、って話にしかなりません。
 これで、仮に隣のロッカーを使っている子がしょっちゅう中身を取り違えたり、嫌がらせをしたりで自分が使用しているロッカーに侵入するということがあったとしても、そこはそういう掲示をするより、「気を付けんかい」と直接当人に要請するか、そのロッカーの管理をしている学校の先生なりに、鍵を付けるとか指導してもらうとかなんとかしてもらうように申し立てるとかするほうが 、よほど物事は早く簡単に解決します。
 あるいは、仮に、なんら問題が実際に起こってもいないのに、「予防的に」そんな掲示をしているとしたらどうでしょう?
 デムパ度が一気に急上昇したように見えませんか?
 
 友人がそうされたので、とか、テレビで見たので、とかいう理由だけで「予防的に」その種の掲出をする人がいたとしたら、それもまた相当なデムパゆんゆん行為で目も当てられません。
 あるいは、ただの一度くらい勘違いや間違いから他人にロッカーを開けられたとして、直後にそういう掲示をし続けるとなるとどうでしょう?
 
 どこからどうみても近寄りがたいデムパです。
 うかつに近寄ると、些細なことでどんな言いがかりを付けられるか分かったもんじゃないです。


■「張り紙」の効果と目的
 とはいえ、世の中を見回すと、ネット上ではなくリアルな空間でも、稀に「立ち小便するな!」とか「犬のフンは飼い主が始末してください!」とか「ゴミを捨てるな!」とかいう看板を立てているところはあります。
 が、一般的にそれらの効果はほとんどありません。効果があるとすれば、素でそういうことが分からなかったが、看板の文字列が目に入った瞬間突然何らかの理解に達したとかいうような、ごく一部の方、それも小学生くらいまでではないでしょうか。

 たとえば、KKがよく行く人の家の近くに、「立ち小便するな!」と塀に赤字でデカデカ書いてあるところがあるのです。
 まったく立ち小便をする気もなければ、したこともない、もしくは「なにそれ?」状態の人から見ると、予防目的で掲出しているその種の文言は完全に無意味です。
 仮に、そういう掲示があったことによって立ち小便をすることを思い止まったというような予防的効果があったとしても、それをはるかに上回る数の無関係層に与える影響と言えば「壁に思いっきりデカイ字で小便とか書くなよ……」と嫌悪感を抱かれたり、想像もしなくてもよいところへ「うわ、この壁立ち小便されまくってんのか?!」と通行人が引いて、そこを通ること自体を嫌悪したり、ちょっと敏感気味(笑)の方なんかは「私そんなことしない(できない)のに何これ!?」と怒りを覚えるかもしれません。このご時世では、セクハラと感じる人もいるでしょうか。
 まぁ、大多数から見れば「自分に向けられたものではない」とスルーするようなことでしょうが、普通に公道を歩いていていきなり壁に「小便」がデカデカとあると「なんじゃこりゃ」とはなりますし、それほど親しくはないような方と一緒に歩く場合なんかは、そこを避けて通ろうとさえ思います。ええ。一緒に歩く人によっては、なんかこうそれだけである意味一種の羞恥プレイ(違)みたいなものです。
 
 通行人のうち半数近くが立ち小便をしていくとか、何者かに「この壁は実は便器なので立ち小便OKです」 などと喧伝されたとか(ねえよ)、たまたま壁の形状がトイレを彷彿とさせる凹凸があったりタイル張りだったりとか(ないって)、ちょっと思い付きませんが何か特殊な事情がある場合ならばまぁ分からないでもないのです。
 ゴミだしの件についても、ウイークリーマンションやマンスリーマンションといった短期滞在型集合住宅が近所にあって、住人がしょっちゅう入れ替わるという場所では、そこの不慣れな住人がゴミ捨ての場所を間違え、誰かが一つゴミを置いていくとほかの人がそれを真似して一斉にゴミを捨てられ、回収拠点ではないのにゴミまみれになるという家が迷惑を受けています。
 そういう特殊な条件にあって、被害が甚大で多く、たまたまゴミ捨て場と似た塀・電柱の位置関係で混同されやすい、などの事情があるというような場合は「ゴミ収集拠点はあちら―>」みたいに掲出するということは一定の意味や効果があります。

 あるいは、仮に実害がなかったとしても、明らかに問題が起こるだろうというような蓋然性がある場合や、その実害の内容、それを予防するための合理的な理由がある場合であれば、予防的な警告・注意書きの掲出も一定の意味がある場合があります。
 たとえば、まだ交通死亡事故が一度も起きていないような交差点でも、その場所特有の立地条件や交通量の増加などにより、ヒヤリとするような危険な思いをした人が増えたなどの状況です。
 その危険を回避するために合理的な方法があるとなれば、そこを一時停止にするなり、交通信号を設置するなり、ミラーを設置するなりするという対処は行なわれるべきです。
 むしろこの場合、看板で「交通ルールを守りましょう」などという効果の薄い漠然とした警告よりも、道路交通法上の法的規制をかける(=信号の設置・点滅式一時停止標識設置・速度規制など)べきことで、人命にかかわるような被害が予測されるというようなことに関しては看板よりも法律上の規制のほうが効果が大きいでしょう。
 「UFOに拉致されるかもしれないから」とかいう理由は「蓋然性がある」とは言えませんし、誰かの人命や財産、権利を著しく損なう恐れがあるわけでもない「ベジタリアン以外はこの道路の通行禁止」などの個人的嗜好の主張に過ぎないものであれば「合理的理由」があるとは言えません。
 
 このように、看板などによる不特定多数への何かの掲出、お願い、要請、命令といったものは、その中身や目的、それをしないことによる被害、それをしたことによる周囲への影響といったものを総合的に考えて実行するべきで、猫も杓子も横並びで「ほかがやっているから」とか「知り合いが言っていたから」とか「マナーサイトに書いてあったから」とかいう理由で無造作にするべきではないということは、現実社会における 張り紙を想定するまでもありません。

 とはいえ、その種の掲出をしたところでも、それを平気で無視する人は居ます。
 というより、ゴミだしに関しても、立ち小便に関しても、ロッカーに関しても、分かりにくいというその場所特有の事情や、雰囲気、過失、不作為などの条件があったとしても、一般的な大人であれば、よほどのことでもない限り間違えずしかるべき場所で、しかるべき条件に沿って行動できます。
 通行人の大多数が間違えるような分かりにくいものだったのならば、それはそのルール を適用する条件や状況設定、期待しているもの自体を見直す必要があるでしょう。
 また、一般的に、公序良俗に反してでも、自己中心的な快楽からゴミをポイ捨てする人は、その種の掲出をしていてもほぼ効果がありません。
 立ち小便にしてもそうです。
 というか、トイレの自己管理なんて小学校に入る前に完結しているべきことで、そんなことをわざわざ壁に書いて出さなければならないというのは、驚くべき異常事態です。酒が入ったとか酔っぱらったなんてのは子供 未満の言い訳でしかありません。
 しかもそんな異常事態だというような、小学生未満みたいな人しか通らないと決め付けているわけでもないのに、事実上そのような意味にもとられてしまうような掲示をすると、いろんな意味で摩擦が起こります。
 その種の掲示をしていることによって得られる利益よりも、不利益や周囲に与える不快感などの悪影響のほうが大きいということを考える必要があります。

 ただ、たまにこういうことを聞きます。「たとえ通行人の千人に一人しか立ち小便しないとしても、その一人を牽制するためには掲示は必要だ」と。
 「立ち小便をするような人は、掲示があろうとなかろうと身勝手に立ち小便すると言うが、こういう掲示があるからこそ、現行犯をとっ捕まえた時、“ほら、ここに禁止と書いてあるだろう!”と言えるじゃないか」ということもたまに聞きます。
 どちらも分からないでもないのですが、肝心なことを忘れているのです。
 立ち小便は、禁止という掲示があろうとなかろうと軽犯罪法違反。相手が原状回復(清掃)などに応じなければ、壁などの器物を汚損されたということで民事でも相手を訴えることもやろうと思えばできるという点で、もうそんな掲出をするまでもなくもともとすでに真っ黒 でアウトな行為です。
 仮にその立ち小便常習者が小学生とかのお子様だった場合は「こらー、立ちションすんなー!」と声をかけたり、「うちのトイレ貸してやるからそこでしなさい」とかいったにっこり圧力(謎)をかけるなり、いろいろ対処のしようもあります。
 が、それ以上の年齢の人間を相手に、もともと法律上真っ黒のアウトなことをわざわざ掲出するというのは、「殺人禁止!」と壁に張っているようなもので、刑法の条文ぜんぶを壁に書き出さなければならなくなるくらい無意味なことです。
 お子様ならば「そんな法律やルールは知らなかった!」も通るのですが(その場合は相応の対処があるのですが)、大の大人がそんなことを言っていたら社会では普通にデムパです。
 知らなかろうがなんだろうが法に触れる行為をしたらアウト。故意による犯意があったわけではなく過失だったということならば罪は軽くなりはしますが、知らなかったからといって完全無罪放免にはならないというのは、社会に出ている大人なら わきまえていないととんでもないことになってしまいます。
 
 つまりこれこそ、「ダメなものはダメ」の典型で、どうしてもそこを変えたければ「社会のルール(=法律)を改正するために大人になって国会で立ち小便を軽犯罪法の対象から外す法案を提出して通せるようにするなどのことをしましょう」という話でしかないのです。
 法律上の規定とマナーとが重なる場合はありますが、法律上真っ黒なことでもマナーが通るということは(ごく私的な空間を除き)一般社会の中では通りません。
 マナーとは、古来より存続するある儀式や様式を守るために必要なルールという側面もありますが、マナーを優先して現代の法律を犯してよいということはありません。
 つまりマナーとは、公的空間ではなく私的空間でのみ効力を発揮するものもあるため、それを公的空間で通用させようとするとおかしなことになる場合があるということです。
 また、マナーとは、法律上とくに明示されている規定がなかったり、判例上揺れているというような微妙な問題だったり、グレーゾーンだったりするようなことを自主規制的に規制するようなものだという側面もあるとKKは思っています。
 本来は自主的に抑制したり、自主規制する場合に(おもに私的空間向けに)用いられるようなことであって、それを他人に要求したり、それに従わないほうが悪い、というのは法律であってマナーではないのです。

 ゴミ出しにしても、各都道府県ごとにゴミだしに関する条例があり、不法投棄などはとくに厳しい罰金などが制定されていることが多いですから、「ゴミを捨てるな!」と掲示して圧倒的多数の無関係な人々に晒さず、ピンポイントに不法に投棄する人を捕まえて、過失・故意に応じて粛々と対応するのが結局最短コースの解決ではないでしょうか。
 ゴミの不法投棄を良心の呵責なく実行するような人に、その種の掲示はほぼ無効だからこそ、「禁止」と看板が出ているところに大量のゴミが不法に投棄されているという悲しい現実があるのです。


■例1などに見られるような掲示の効果と目的は?
 
 話がだいぶたとえ話方面にズレましたが、それらの話を踏まえた上でもう一度、例1に戻ってみましょう。
 
例1:「ネット声優という言葉に嫌悪感を抱く方は、入室をご遠慮願います。」

 この掲示、この主張にどういう意味があるのでしょうか?
 また、どういう「効果」を狙っているのでしょうか?
 
 法的にも、実効力的にも、意味がありません。
 嫌悪感を抱こうが抱くまいが、WWWにオープンで公開されている以上、入室ボタンを押そうが押すまいが、遠慮してくれもなにもあったもんじゃありません。
 
例2:「荒らし目的の方、中傷する気満々の方は、入室をご遠慮ください。」

 これに至っては、「荒らし」目的だろうがそうでなかろうが、中傷する気が満々だろうが、その気が7割程度だろうが1割程度だろうが、遠慮してくれと言われても、これを真に受けて「そうか、遠慮しよう」という人がマトモな社会人の中にいるとしたらお目にかかりたいところです。
 というかよほどのお子様でもない限り、この種の文言を注意深く熟読しつつ真に受けて全面的に従わなければならないなんていう人はまずいません。じっさいKKもこの種の文言は前々から目に入っていたのでしょうがまったく無意識にスルーしていました(笑)。
 
 これで、例1、例2に掲げられている条件に該当する人をフィルタリングするために、IDとパスワードによる制限が設けられているとか、WWWではなくクローズドな専用ネットワーク(PPTPとかVPNとか使ったもの?)とかだと言っていることは分か らないでもないですし、その種の条件をのんだ人が制限の向こう側に達するというのはまったくよく分かります。 もっともこの場合、こんな条件は飲まされるとかいう問題以前に掲出するまでのことではないのですが。
 
 いかに条件を付けようとも、遠慮してくれと言っても、公序良俗に反しない限り、また不正アクセス禁止関連の法令条例に反しない限り、WWWでオープンに公開されているものに関しては誰がどう閲覧しようが不特定多数向けに公開されている以上遠慮も何もあったものではありません。
 WWWを共有しているという点ではイーブン(対等)な立場にある不特定多数のアクセス者に対して、一方的に誰かの都合にのみ適した「遠慮してくれ」を振りかざすと、いずれ衝突が起こります。というより、衝突や摩擦以前にただ単にその種の要望はスルーされうるということです。
 そもそも、誰もがアクセスしうるWebページに対するアクセスを特定の条件を挙げて「遠慮してくれ」などと要請するということ自体がすでに大間違いなのです。
 その種の「遠慮してくれ」を他人に要求する時点で、「そのページの公開の方こそ遠慮してくれ」という話になるというのは、先ほどの裸踊りの是非を思い出せばピンと来るのではないでしょうか。
 
 
■「〜に嫌悪感を抱く方は入室をご遠慮ください」の呪文
 これはおそらく、このように掲示しておけばオマジナイのように、「嫌悪感を抱く方」とやらが来なくなるだろう、という期待からくるものなのだと想像します。
 このあたりKKの想像でしかないので、その種の文言を掲出している方にぜひ、どういう効果と効能を期待してそのようにしているのかを教えていただきたいのですが、今の時点では想像のみでともかく話を進めます。
 「これを掲示しておけばきっと、XXX(ボイスドラマ・ネット声優・BLなどなど)に嫌悪感を抱く方はアクセスしないはず!」
 という漠然とした「期待」のみであればまだ救いがあるのですが、問題は「これを掲示したことによって、〜に嫌悪感を抱いた人が入ってきたらその人のほうが悪い」と思ってしまっている場合です。
 おまじないのお守りみたいなものとしてそういう呪文を唱えるのではなく、それで相手を悪と認定して攻撃するための根拠(武器)として護符を突き出すというような方向性で捉えていると、またこれがエラく滑稽な構図になってしまいます。

 「荒らしかどうかは、荒らしと感じた人の判断のみによって決まる」
 「不快かどうかは、不快と感じた人の判断のみによって決まる」
 「セクハラかどうかは、セクハラと感じた人の判断のみによって決まる」

 
 おそらくこういう論理(未満の信仰)をここ10年間ほどの間、義務教育期間中かその前後に叩き込まれてしまった人にとっては、その種の呪文は単なる期待でも要請でもなく、実行力のある呪文だと思ってしまっているのかもしれません。
 
 ただ、現実には、そこに至るまでの経緯や前後関係の検討といった段階を経ないで呪文のように一方的に決め付けられた信仰じみた教義によって動いているのは、 私的空間でのみ通用することです(恐ろしいことに、セクハラ冤罪・痴漢冤罪事件の増加を思うと世間一般にこの種の信仰が広まりつつあることを予感させられますが)
 
 現実には、その種の呪文があろうとなかろうと、悪意を持ってアクセスする人はアクセスするでしょうし、たまたま検索エンジンなどから飛んできてまったく関心がない人はスルーするでしょうし、「嫌悪感も関心もないが暇つぶしになんだか 知らんけど見てみよう」という方も居ます。「なんじゃこりゃ??」と最初から穿った目で見ながらアクセスする人も当然居るでしょう。
 それらの人々の自由を、パブリックな場でオープンに公開しているのに、「遠慮してください」などと言っているというのはマナー違反的もしくは非常識と言い換えてもよいと考えます。
 そのうえ、そんな呪文を掲げていることで一方的に自分が正義、それを無視した相手が悪、と決め付けるというような二元論にすぐ走るような方がいるとすれば(そんなん小学生くらいしかいないでしょうけど)大変危険です。
 
 
■効果的な冒頭呪文とは?
 「〜に嫌悪感を抱く方は入室をご遠慮ください」的な文言の無意味さ、非効率さを説くだけだとナンなので、何かこう効能面を押しだせるようなモノはないかと考えてみました。
 
 一般的に、(私的性格のものではなく)公的なWebサイトの冒頭トップページや注意書き的ページの文言は、それが細かければ細かいほど、多ければ多いほど 、無意味・無効果・非合理であればあるほど読み手にスルーされます。
 逆にいえば、そこを細かく読んでくれる人というのは、よほど関心を持ってくれているか、単なるヒマ人か、あるいは「読んでください」を真に受けてなんでもかんでも読まなければならない、という 信仰みたいなものに支配されてしまっている人かのいずれかでしょう。
 映画やビデオを見るとき、誰もがそのオープニング前のスタッフ表示や宣伝、映画配給会社のロゴ表示などをぜんぶきっちり観る人ばかりではありません。
 そして、実際そのトップページの文言をアクセス者の誰が読もうが読むまいが、まるでまったくアクセス者側の自由であって、それをWebサイトの管理人がどうこう強要したり指定したりするなどという「マナー違反」(以前に法的根拠も権限もナシ)なことはできないのだ、ということは今まで延々と書いてきたことで何となくでも伝わったかと期待したいのです。が……。
 
 ざっと見てください。
 ブログや日記などの個人的な、個人そのものを前面に出しているWebサイトよりも、企業や学校などの公的なWebサイトや、何かの商品そのもののWebサイトなどを思い浮かべてください。
 それらのトップページに、たとえばガンプラを扱っているBANDAIのWebサイトのトップページには「ガンプラに嫌悪感を抱く方は入室をご遠慮ください」などというデムパな文言はありません。
 ボイスドラマの企画ページが、ブログなどのような個人対個人のWebサイトだという位置付けの人もいるでしょうが、KKはそれは違うと思っています。
 少なくともチラシの裏とか、ローカルな自分のPC上のみとかではなく、WWW上で不特定多数へ無制限に作品を公開するとなった時点で、そのWebサイトは限りなくパブリックな位置付けになると考えるべきでしょう。
 しかし、そこを「プライベートな(個人的な)もので、個人が特定の個人のみ向けたものだ」、と言ってもよいのですが、それだと冒頭の裸踊りの例を出すまでもなく、「壁も何もなく外に完全スケスケ状態 だけどプライベート空間だと主張する」ということになってしまい、これまた大変苦しいことになります。
 また、Webサイトというのは、一般的に「積極的にそのWebサイト内の何かに関心を持って」いる人がアクセスする方が多いでしょう。巡回型ボットもありますけれども(笑)。
 何らかのリンク集や検索エンジンからたまたま流れてくるという場合もありますが、多くの場合はその検索ワード自体がWebサイト内の何かと合致しているからアクセスしているのであって、完全にランダムにブラインドクリック(?)しまくるとかでもない限り、普通は何らかの関心を持ってそのWebサイトにアクセスしにきたと考えるべきでしょう。
 あるいは、稀に居るかもしれない、「誤って、嫌悪しまくりで不快になってたまらないのに間違えてアクセスしてしまった」とかいうようなごく少数と思われる方のためだけに、トップページに「嫌悪感を抱く方は入室をご遠慮ください」とか掲出していると、そのほかの大多数を占める一般的なアクセス者を、立ち小便の例を出すまでもなく、大なり小なり無駄に悪影響を及ぼす恐れがあります。

 また、その内容ですが。
 「立ち小便もゴミの不法投棄も、どちらも明確に犯罪なので、合理的な理由や必然性・蓋然性でもない限り積極的に掲示することではない」ということの延長として。
 どこの世界に、不快で不愉快で嫌悪感を抱きまくっているのにアクセスしまくる人がいるのでしょう?
 また、仮にそういう方がいたとして、それによって何がどうなるというのでしょう?
 ガンプラやガンダム作品を親の敵のように忌み嫌う人を自分は知っていますが、そういった方はごく少数の一部の方で、大多数の人々は好き嫌い以前にまったくどうでもいいと思っています。
 どうでもいいという人がバンダイやサンライズのWebサイトにアクセスすることは想定してもよいかもしれませんが、積極的に嫌悪を抱いている人のためにしか有効ではない「嫌悪感を抱く方は入室をご遠慮ください」などという文言を掲げるというのはいったいどういう意味があるのでしょう?
 ごく一部の嫌悪を持った人のためだけにバンダイのWebサイトトップページに「ガンプラに嫌悪感を抱く方は」云々と書かれていれば、KKの場合そのほうがなんじゃこりゃ??と脱力 しまくりですし、トホホ感も激増です。
 また、その「嫌悪感を抱く方は」云々という掲示があったところで、実際その嫌悪を持ってアクセスした人に何がどうできるのよ、という効果面を考えると、ますます意味のない掲示になってしまいます。
 仮に嫌悪を抱いた人が積極的にそのWebサイトにアクセスしまくったところで、大多数のそうではない人々にとってはどうでもいいことです。どうでもいいことを、さもアクセス者の全員がそうだとでもいうような文言で「呪文」をどこのWebサイトでも掲げられると、その種の呪文の中身に仮に意味があったとしても効果はスルーされる方面へとぐっと弱まりそうです。
 
 なので、どうせ掲出するなら、意味のない(法令・公序良俗上書き出すまでもないネガティヴな)ことを避け、ごく少数派の異端者にのみ有効なことをトップページなどに掲げるようなことをせず、そういうのはなるべくどこか引っ込んだところに出すか、スルーするかして、トップページにはなるべく「ようこそ」みたいなポジティヴなものを出したらどうよと思うのです。
 というか、「ようこそ」的なことを書いてあってその直後に「〜は禁止です」だの「〜はご遠慮ください」だのといきなりネガティヴな要求をしているのって、まったく「ようこそ」ではなく、また「マナー」でもなく、むしろ「マナー違反」的だと思うのですがいかがでしょうか?
 
 営利企業と、営利にそれほど関係のない個人的趣味のWebサイトとでは性質は違いますが、Welcomeの部分に関しては基本的に向いている方向性としては同じです。なるべくいろんな人に触れてもらいたいからWWWで公開しているわけです。
 触れられたくない、見られたくない、自分が認めた人しか見てもらいたくないということなら、チラシの裏に書くか、クローズドなところでお友達にだけご招待ということでよいでしょう。
 
 なので、KKとしては、トップページに掲出する文言として、陳腐かつ目新しさもなにもありませんが、以下のようなものを提案します。
 
 「〜に関心がある方のアクセスはとくに大歓迎です。」

 みたいに、歓迎しない要素、ネガティヴなものを冒頭に強調するのではなく、歓迎したい要素を冒頭に強調するのです。
 たとえばボイドラ系なら「ボイスドラマ・ネット声優に関心がある方のアクセスはとくに大歓迎です」とし、BLだったりエロだったりなんだかほかにもいろいろあるのでしょうが、ある特定の傾向をもった方向けのものだということを積極的に掲出することを目的とすればいかがでしょう?
 これだけのことで、著しくそのサイトの雰囲気というか、デムパ具合・お子様臭さ具合がぐっとマトモな方向に寄るように思えます。
 どうしても否定的な、ネガティヴなことをWebサイトのコンテンツとして書きたくてたまらないという人は、そういうページを別途用意して、対象者にだけ読んでもらうことを期待するしかないでしょうが、ネガティヴなことを書かなければならない対象者っていうのは総じてそういうのは読みません(笑)。
 読まないし、理解しないし、理解する気もないし、そのコミュニケーション能力もないからこそ、「あーあーきこえないきこえなーい!」と耳目を閉ざして恥をばらまく行動しか取れないのです。
 なのでなるべくそういうのはスルーしたうえで、トップページにはまずそこに関心を持ってきてくれた人を歓迎するということを真っ先に掲げるというのが「マナー」ではないでしょうか。
 

■「最初にお読みください」的ページにある「〜は禁止です」な呪文世界

 トップページもしくはWebサイト内のどこかに、「〜に嫌悪感を抱く方は」云々という文言が堂々と掲げられているところは、同人世界、と りわけこのボイドラ業界には多いように思います。
 また、「マナー」を掲げたり重視したりするWebサイトほど、まるでマナー違反としか言いようのないこの種の呪文を掲げることをお約束のようにしており、そういうのに影響を受けた人々がおそらく何も考えずにただ横並びでその種の模倣をしているものと考えられます。
 
 そのトップページだけならばまだしも、案外これと類似して多いのが「必ずお読みください」的な、そのWebサイトをどのようにアクセスするべきかといったようなことが延々と書かれているページをコンテンツ内に置いているサイトです。
 
 例3:「当企画で使用されているイラスト、ボイスは、無断転載、無断保存、無断使用は一切禁止です。」
 
 禁止事項。
 多いですね……。
 で、ここで問題なのですが。
 「禁止です」って言われたところで、その「禁止です」にはいったいどういう効果、効能、根拠があるのでしょうか?
 もしかしてこういうことを掲げる方の中で広がる世界というのは、「禁止です!」って言ったら言ったもん勝ちで相手はそれを無条件に飲まなければならないというような「オレ様唯一絶対神君臨世界」であって、世界中のいろんな人々はすべてその世界の住人だと思い込んでおられるのでしょうか。
 こういうデムパゆんゆんな方が、ネタでもなんでもなく大真面目に堂々と公言なさっているのを見てしまうと激しく脱力します。

 これが、小学生くらいなら分かります。
 「今から、先に言ったもん勝ちルールはじめー」みたいなことをしてじゃれて遊ぶなんてことは 、お子様のうちには誰にでもあることだからです。
 ただ、これが、年齢的に成人、あるいは社会に出た大人がやっていることだとしたら……。
 こういうことを掲出しているサイトはさすがに多数派ではなく、(少なくないけれども)どこのボイドラ系サイトでも必ず見られるというわけではないので、ごく一部の方だと思いたいところです。また、確認したくもないので真相は分かりませんが、リアル小学生がやっていると信じたいくらいの「非常識」もしくは「マナー以前」状態です。

 「一切禁止です」などと誰かが一方的に決めたことを、 パブリックな場において、誰のどんな権限で、何を根拠にそれを一方的に飲ませられなければならないのでしょう? 独裁者にでもなりたいのでしょうか? それとも、社会のルール(=法律や道徳)よりも俺様マイルールのほうが優先されるべきだとでも思っているのでしょうか?
 大人が、自分の親兄弟でも子供でもない赤の他人の大人に向かって、ネタでもなんでもなくこういうことを真顔で言ったとしたら、唖然とされつつスルーされるか、何だこのキチガイ、と逆に攻撃されかねません。

 が、この種の一方的要求を出し、それに服従するというのが「マナー」だと言わんばかりの堂々たる掲示を見ると、やはり業界特有の気味の悪さを感じます。
 ボイドラ業界特有の「マナー」とやらについては、前回の「マナーについて」でさんざんしつこく書いたように、どうやら「企画者はエラい。それ以外は奴隷」という前近代的な思想が根底にあるようです。
 これこそ、「ボイドラ業界内マナー」とは、あくまでまったくイーブン(対等)でしかない相手に向かっても、不必要・不合理に奴隷化・服従化を求めるのが「マナー」だなどと主張しているものに過ぎない、と以前KKが断じたときに感じた「それこそがまさしくマナー違反だよ」というものによく通じるものがあります。


■「無断保存」禁止説などに見られる不合理
 例3に見られる「無断保存」禁止については、技術的、効果面的側面から踏み込んでみてもかなりのデムパです。
 個人的にチラシの裏やクローズドな自分だけのPC内でやり取りしているならばこの種の主張をいくらしていてもその人の自由ですが、WWWに公開している時点で「無断保存」とか言われても 困惑するばかりです。
 こういうことを掲げる方は、PC上でどうやってWWW上のボイスのデータやイラストのファイルが読みだされて表示されているのかご存じないのでしょうか?
 みんなしてテキスト専用Webブラウザを使うとか、Webブラウザ上では画像や音声ファイルの類を一切受け付けないという設定にしなければならないという法律や「マナー」でもあるならならばまだしも、一般的な最近のPC用Webブラウザでは、閲覧表示した瞬間、そのイラストの画像データはその閲覧者のPC上のHDD内もしくはメモリ内にキャッシュなどのデータとして、その禁止したいファイルそのものが保存されている場合があります。
 もう、ほとんどのユーザーが、無意識に開いた瞬間「無断」で、「保存」しています。
 また、ある閲覧者がWebブラウザ上で特定のWebサイトの中身を能動的に「ファイル(F)」>「名前を付けて保存(S)」という操作をしたところで、その人のWebサイトを保存するという自由を、誰の権限で、どういう根拠で、どういう強制力を持って「禁止」などしたがっているのでしょう?
 パスワードロックされた認証が必要なWebサイトに不正に侵入したり、企業内イントラネットのようなクローズドネットワーク上のHTMLページといった「企業秘密を外部に漏らすな、保存禁止」とするのは意味が分かります。
 だからこそ、企業内サーバーの管理者は、企業内サイトの画像を保存されないようにしようと思えば、社内規定のみならず、そのようなアクセス権限(制限)を設けるものです。
 が、フルオープンで誰でも不特定多数がアクセスできる状況で、公序良俗にも法律上も個人使用の範囲においてはまったく問題のない、WebページのローカルPCへの保存という行為を、いったい何の根拠で、どういう法律に基づいて「禁止」しようとなさっているのでしょうか?
 こういうデムパを真に受けると、そのうち「あなたのキーボードのEnterキーを押すのは禁止」とか言い出しそうで、いったいどこがどうトんでしまったらこんなキテレツな「禁止」を他人に要求できるのだろう かと思うと、こういうことを他人に要求なさる方の社会生活に大変な不安を覚えます。

 それから、「無断転載」「無断使用」ですが。
 これも、著作権法上の「引用」に必要とされる要件を満たしていない丸ごとコピーや、出典を明示しない流用などは、立ち小便の例を持ち出すまでもなく「アウト。黒。ダメ。不法行為」なので、掲げるまでもなくダメな行為です。
 が、最近では小学生や中学生もWebサイトを公開したり、ボイスドラマ企画を始めたりと低年齢化が進んでいますので、法的なことや世間の常識的なところと著しく乖離した状態のまま、文字通りのお子様ルールで突っ走ってしまうこともあります。
 そういうお子様への対処方法としては、「無断で転載してはダメよー」と誰かその子の保護者や教師、関係者が教えてやらなければならないでしょうが、現実にはWeb上のやり取りにおいてそれは大変難しいことですし、いちいちそんなのに構っていられないというのが現実でしょう。
 では、お子様による「無断転載」「無断使用」に目をつぶるのか? となると、そういうわけにもいきません。なので、そういう事例が「直接自分に利害を及ぼす範囲内に発見されたら」、個別に対応する以外にないと思います。
 一部の小学生や、高校生になっても小学生じみたことをやってしまう未成年たちや、あるいは大の大人なのに未成年丸出しな社会不適合っぷりを晒してしまっている人々が、稀に困ったことをしてしまうというのはゼロにはできません。
 もうそういうことが、どこにでもあり得るものだということをどこか含んだ上で対処するしかありませんし、これから何が起こるか分からないということを(リスクも効果もどちらについても)、やはり大人は大なり小なり含んで行動するものです。
 あるものだと思って対処するとは言っても、だからと言って全員がそうだというわけではありませんので、やはりここは「そうだ(無断転載する)というわけではない」という人を標準にして、どうしても書きたければ無断転載や無断使用の類はどこかに小さく書いておくか、あるいは実際に被害を受けてから個別に対応するので十分ではないでしょうか。
 
 さらに、現実問題として「無断転載」と呪文のように掲出したところで、効果はほとんどありません。
 総じてリアル小学生や、突っ走りまくりで判断力・責任能力ゼロ同然なお子様、被保護者層は、大人と同じ土俵でWWWに出てくるというのは危険ですし、できれば「もう少し大きくなってからね」と言いたいところですが、現実にはどんどん低年齢化が進んでいてこればかりはもうどうしようもありません。
 リアル小学生は、その種の文言があろうがなかろうが突っ走る子は突っ走ってしまいますし、大人で悪意を持って無断使用する人は掲示があろうがなかろうがやってしまいます。
 となると、実際にそういう無断使用や無断転載といった被害が遭ってから行動すべきだし、じっさい遭ったところで、遭ったからと言って「禁止」を掲示するのも効果や意味がないとKKは思うのですが、じっさい、この種の掲示を呪文のように、かなり多くの(というかほとんどの)ボイドラ企画関連Webサイトで見ることができます。
 最初、そんなに無断転載、無断使用の被害者が多いのかーと思ってびっくりしましたが、どうも実際に被害に遭う遭わないではなく、ともかく呪文のように右へ倣えでコピペ的に、お守り的に意味もなく掲示しているという人のほうが多いような気がします。
 
 被害に遭ったわけでもないのに、予防的に「禁止!」を訴えるという行為は、先のロッカーの例を持ち出すまでもなくそれが実際に被害からかけ離れていればいるほどデムパ度が増し、際立ってお子様臭が増幅するように思えてなりません。
 
 端的にお子様に説明するには、「私がここに掲示してあるから無断転載は禁止」なのではなく、「(私がいちいち掲出するまでもなく)法律上禁止されている不法行為だから」でよいのです。


■「引用」を禁止するという世界。

 とここまで主に例3について踏み込んできましたが、ここでさらにデムパの度合いが増幅してしまっている例4に取り掛かります。

 例4:「当サイト内の内容、ページURL、日記(ブログ)の内容、URL等をネット掲示板等への書き込み、転載、引用全て禁止です。スクリーンショット等を取ることも厳禁です。」
 
 デムパです。
 の一言で終わらせたくなるくらいな。
 あるいは、もう何か耳目を集めるためにネタとしてウケを狙ってんじゃないかと警戒(笑)したくなるくらいに強烈です。
 
 誰の権限で、どういう法的根拠で、何の目的をもって、日本人が日本国の法律によって守られている自由や権利を「禁止」だの「厳禁」だのと言えるのでしょうか。

 A:「(公道上でも)無断で私を見るのは厳禁でーす!」
 B:「はぁい、厳禁されたので(公道でも電車の中でも) あなたが通るときは顔を背けることにしましたー!」
 
 というのがどこででも通る世の中だと本気で思っているのだとしたら、かなりヤバいです。いやそんなこと思っていないのでしょうが、言っていることは大した違いがありません。
 
 お子様のみならず、ひきこもっておられるうちに社会というものから遠くなり過ぎた方や、ちょっとムシャクシャしてやった。反省している。みたいな構ってほしい方や、 自称「心の病」を掲げておられる方などを含めて、Web上には様々な立場の方が居ます。
 なので、明らかに非常識なマナー違反とか、他人の権利侵害を堂々と主張するものを「マナー」なのだと言い張るような方がボイドラ業界内で奇特なことを言っていても、それ自体は別段珍しいところではありませんが、これを右へ倣えで真似するのだけは危険なので、まるでオススメできません。
  
 「引用」は、著作権法上保護されている著作者の権利を制限する項目部分に定められているもので、一定の要件を満たす限り第三者が著作物を引用できるとしたものです。(著作権法第32条)。
 
 著作権法第32条に規定されている「引用」であれば禁止もなにもありません。というより、禁止と明示されていてもいなくても、「引用」の範囲を逸脱したものであれば著作権法上アウトです。
 何をもって「引用」とするのかについては、判例上、「引用」にはおおむね以下のような要件があるとされています。

・引用先の著作物に、ほかの著作物を引用する必然性があること
・質的・量的にみて引用先が「主」、引用した部分が「従」の関係にあること
・引用先の著作物内で、引用した部分が明らかに区別できること
・引用元が公表された著作物であること
・出所を明示すること

 ほかにも、「引用」に関して著作者人格権(=公表権・氏名表示権・同一性保持権など)を侵さないなどの規定もありますが、「引用」そのものを「禁止」するという言い分は 、そもそも著作権法第1条にあるような目的・理念に反すると言えます。
 
 くどいですが、上記の要件から著しく逸脱するものは「引用」に当たりませんので、そもそも禁止もなにも他人の著作権侵害になりうるためどのみちアウトです。

 また、盗撮や盗聴などは犯罪ですが、もともと広く長く耳目に晒されている公道に面した建物などが誰かの写真に写っていたところで盗撮だとは言えません。
 この種の主張をなさる方の要求に応じるということは、「窓が開いていた」ではなく、「窓もなく壁もなく誰もが自由に行き来できるところで全裸になっていたところに通りがかった人と鉢合わせしたが、その通行人に向かって“ノゾキは禁止!!”」とか言っているようなものに「はい、すみません」と対応するようなものです。

 スクリーンショットに関しても、私的利用の範囲ならば法的(著作権法第30条)にも倫理的にも問題ありません。

 著作権法上規定されている「引用」であり、そのほかの法律・条例(個人情報保護関連)侵さない範囲ならば、それを公開するにしてもこれまた禁止も何もありません。
 どこか別の場所にサイトのURIを書き込もうと、それが不法行為前提(パスワードロックされた先を不正にアクセスする方法など)でなければ、もとのソースがWWWで不特定多数に自由にアクセスできるフルオープンにされている限り、これもまた禁止も何も(ry。

  たとえば、KKが書いたものの中で、Web上に不特定多数に自由にアクセスできる形態で公開されているものに関しては、誰かにどうスクリーンショットを取られようが、どこの掲示板にURIが転載されようがどうでもいいことです。
 オフレコや、非公開な場で非公開であることを明示しているもの、プライベートな空間での発言、もしくは不特定多数が自由にアクセスできない部分でのものに関しては、第三者に勝手に公開された場合、禁止もなにも法的・倫理的にアウトな不正アクセスですから、禁止だなんだと明示するまでもなく必要ならば相応の対処をするだけのことです。
 
 世間では、どんなに普通に生活していたって、人の噂というものはどこででも、いつでも立ちうるものですし、本人不在の場所で他人がどこでどう噂していようが、ホメようがケナそうがそこまでいちいち気にしていたら社会を泳いで渡ることなどできません。
 その場に居て直接的に言われたこととか、自分のメールアドレスに直接なんらかの働きかけがあったのであればともかく、自分の 関知しない場所で、本人が不在の他人のプライベート空間で何をどう言おうが言われまいが、まったく自分そのものに何の影響もありません。


■「最初にお読みください」的ページにふさわしい文言考
 禁止、禁止、禁止!!と一方的に脳内禁止法(?)を発動なさっておられる方のデムパを否定するだけでは芸がないので、その種の「最初にお読みください」的ページ(「About」という表現が多いらしい)の効能や、人々にやさしい(笑)利用法などを考えてみます。 

 「最初にお読みください」的なページそのものが無意味なものだと言うつもりはこれっぽっちもありません。
 必要としている人もいるでしょうし、必要としていない人もいずれ読むかもしれないコンテンツのひとつです。
 ただ、「〜は禁止」に終始したり、もしくはそれが主でほかは従またはそれ未満の分量だったりするとこれがまた凄まじくお子様臭いので、リアルお子様以外は真似しない方がよい例にしか見えない、と言うつもりは満々です。
 
 初めてWebサイトを訪れた方や、久々に訪れた方にとって、そのサイトがどんなものかということを端的に説明したページがあると、ないよりマシ以上の効果が見込めることがあります。
 そういうページは、読まない方はまったく読まないし、また、必ず読まなければならないとする必要もありません。

 どこのどんなコンテンツだろうと、読まれても、読まれなくても、それはWebサイト管理人にとってどうこうできる問題ではありません。
 それを読まなかったことによって「閲覧者」が何らかの不利益を被ったり、ネタばれになります、とかの事情があったとしても、最終的にどれをどのように読むかを判断するのは閲覧者側の自由です。
 またしても繰り返しになりますが、読むかどうか、その「公開されている」Webサイトのどのコンテンツにどのようにアクセスし、どのように気にいったり、どのように嫌悪したりというのは、まったく完全にアクセス「する側」の自由であって、それをそのWebサイトの管理人がどうこう命令したり強要したりということなど、日本国憲法を持ち出す以前の問題としてできません。というか、されてもそれはスルーする自由が閲覧者にはあります。
 また繰り返しますが、内心の自由は、何人にも侵されません。
 それを見てどう感じようが、どう感じまいが、それを「こんな風に感じてくれたらいいな」と「期待」することはできても、「このように感じてください」と他人に命令することも強要することもできません。
 
 なかには、「ブックマーク、お気に入り登録は、必ずXXページにしてください」と、お気に入り登録先を指定する奇特な方が居ます。
 頻繁にトップページからのリンクを変更するとかファイル名を変えるとかで、「このページにさえお気に入り登録しておいてくれればページにアクセス不能になることはないだろうから、このページに登録しておいたほうが面倒なくてよいですよ」ということが主な理由のようですが、それにしても、それをめんどうだと感じた人がいたならば、そのようにお気に入り登録をするでしょうし、めんどうだと思わない人は、任意の好きなページにすぐにアクセスできるようお気に入り登録するなり、どこかにショートカットリンクを張るなりするでしょう。
 というより、「頻繁にリンク切れにならないようにWebサイトを作って公開するのがWebサイト制作のマナー」だとは思いますが、どういうわけだか自分以外の大多数の他人のほうにめんどうをかけるというようなことのほうを「マナー」だと言い張る奇特な方が、少なくない数業界内外に居るという現状を見ると、つくづくこういう方々にとっての「マナー=自分にとって都合のよいことのみを他人に押し付ける奴隷制圧命令集」と勘違いしているんだなぁと思わされます。

 発端が親切心から「トップページ(や別の特定のページ)をお気に入り登録したほうがよいですよ」と言っているとしても、Webブラウザを誰がどのように使おうがそれはそれぞれのユーザーごとの自由ですので、参考までに「〜というのをお勧め」ならまだしも、「必ず」とか「(ほかのページへのブックマークは)禁止」とか言い出すともうこれは余計な御世話(=マナー違反以前の愚行)という領域になります。
 そのWebページがリンク切れして困るとか、リンク切れは腹立たしいというような人はリンク切れしないように、そのWebサイトの管理人が主張する方法に従うか、その都度検索エンジンを活用するかするでしょうし、そんなんでリンク切れしたならそれはそこまでのものだから大したことないやーという人にとっては、まったくそれまでのものなのでしょう。そのあたりをどう判断するかは、Webサイトの管理人が決めることではありません。

 ある日突然見知らぬ人から「Googleの検索エンジンを使用することは禁止します」とか「Yahooの検索エンジンを使ってください」とか「禁止」もしくは「命令」されたら、普通は「ハァ?何言ってんだこいつは??」となります。従う必要もなければ、従わないこと=マナー違反ではありません。また、それが「ご遠慮ください」との「お願い」だったとしても、結果的には同じことです。スルーされるか、むしろ嫌悪されるかされても当然です。
 「XXXにした方が、YYYという理由でより便利になりますがいかが?」 ということならばまだユーザーに選択の余地がありますが、たかがWWW上のWebサイトの一つに、どこにどうブックマークを、などということについて「閲覧者同士の話ではなく」、「Webサイトの公開側」が指定するというのがどれほど奇妙なことか想像できるでしょうか?
 
 となると、閲覧者の行動を制限したり一方的に「お願い」とやらを押し付けたりする文言を載せるのは、「はじめにお読みください」的ページではなるべく避けたほうがよいです。
 淡々と、どこのコンテンツリンクがどういう内容か、といった目次的な内容に終始するというのもよいでしょうが、何かをお願いしたい場合にしても、なるべく意味のある、効果のあるものを前提にしたほうがよいでしょう。
 間違っても「お願い」=受け入れてもらうのが当たりまえだなどと思ってわざわざトップページにあれこれ書くようなことではありません。
 意味のない、効果のない呪文や、業界標準コピペテンプレっぽいのが並ぶと、ただでさえ読まれなくなるその種のページがますますスルーされるようになるでしょう。
 
 そこで、KKからの提案です。
 一方通行な「お願い」に終始したものではなく、「俺様の企画はこういう方向性だー!!」とか「こういうところを注目していただけるとうれしい!!」とか、「こういうところにチカラいっぱいがんばっているのでオススメ!!」とか、見どころとか、ココはとくにがんばっています! とかいうような、自己企画PRっぽいのを混ぜて みるというのはいかがしょう?
 誰かの権利や判断、自由をいきなり制限することをしょっぱなから主張するのではなく、あくまでも自分のWebサイト(上のボイドラ作品など)のことをまず紹介するということに力点を置くのです。
 いきなり他人をどうこうしたいというような願望をぶつけられるより、「私の作品はこれこれこういうものです。どうぞお楽しみください」と言われるほうが(これまたマナー以前の問題として)よほど来訪者にやさしいWebサイトになるのではないでしょうか。
 むろんこれ「だけ」がよい方法と言いたいのではなく、これ「も」ひとつの形だというオススメでしかありません。
 といっても、自己「企画」PRって案外難しいんですよね。

 よくあるのが、企画者自身が「切ない」とか「感動の」とか「壮絶な」とかいう形容詞を使ってしまっていて、実際聞いたら「まったくそんなことこれっぽっちも感じねえ……」というパターンです。
 これは個人的に避けた方がよいかと思われます。いや、避けなくても傍目に見たらそういうギャップって(トホホ方面で)おもしろいからいいですけど(笑)。
 そういった文言は、第三者や、せめて企画に協力している声優さんとかが書くならまだしも、中の人が自分の作品を「壮絶な」とか書いていると、本当にそうだったとしても威力が減殺されて読み手は萎えることがあります。そういう話だとは予想もしていなかったというようなインパクトを求めてドキドキしながら作品に触れようという方にとっては「あーそうーそうぜつなんだー」とネタばれされているような感覚さえ覚えることがあるかもしれません。

 物語を聞いて、演技に触れて、切ないと感じるか感動したと思うか、壮絶だったと感じるかは聞き手の自由ですし、感性に左右されるものですから、その種の断定や、このように聞け、という期待を「お願い」的にぶつけるのではなく、どういうところに「製作者側は」苦労したかとか、どういうところが「製作者側にとって」ともかくがんばったことだったとか、リスナーに押し付けない参考となる情報を、それもなるたけポジティヴな内容のものをPRするというのが求められるように思います。
 参考までに、第三者や協賛者の声として「壮絶な」とか「感動の」とかいう宣伝文句を企画者が 引用して紹介する分にはそれも宣伝の一つとしてイケルかもしれません。

 また、どこか個人的な日記などで「私は、自分のこの作品でXXXという部分が切ないと感じました」とか「もし、作品を聞いてくれた方が、XXXの切なさを感じていただければうれしいです」とか表明する分には個人的な表明でしかありませんのでまったく問題ないでしょうし、そういうスタンスや方向性の主張は個人的にはいくらでも出してよいかと思います。
 このあたりの「自己PR」と自己「企画」上の公的PRとの違いなど(私的表明なのか、パブリックなアナウンスなのか)についてもあれこれ思うところがありますが、今回は置いておきましょう。
 
 最初に読めとか、必ず読めとか言われたページの中身に、〜は禁止、〜とお願い、とか企画者にとってのみ都合のよいことを一方的に押し付けるようなことがなければ、「この企画作品を聞いてくれ!!」というのが伝わればよいのではないでしょうか。



■追記:「もし〜としても責任はとれません」な呪文
 一つ触れるのを忘れていたものがありました。

例5:「もしなんらかの不快感を持たれたとしても責任はとれませんのでご了承ください。」
 今までに述べてきたことでもうこれ以上必要ないかとは思いますが、「〜は禁止」「〜はご遠慮ください」な方の多くがセットで付けている文言がコレです。
 多いのであえて個別に触れてみます。
 
 「責任はとれません。」
 
 これについては、結果的にほとんど同じことの繰り返しになりますが、これもまた不必要かつ効果のない呪文の一つです。
 そもそも、ここでいう「責任」ってなんでしょう?
 仮に、閲覧者KKが、Webサイト管理者きゅうのサイトを見て「不快感を覚えた! 責任をとれ!!」とか言い出したとします。
 こういう場合、管理人側は「は? 責任って??なんの?どんな??」で終了。でしょう。
 他人が不快感を覚えようがなんだろうが公序良俗・法律法令に反していない行為ならば、 「責任をとれ」も「責任をとる」もあったもんじゃありません。
 こういう人々は、誰かが「不快感もった!」と言えば、必ずいちいち何らかの「責任」を取らなければならないと思い込んでおられるのでしょうか?
 ガンプラの例をまた持ち出すと、ガンダムという作品を親の敵のように嫌う人もいれば、ガンダムという一連の作品のなかでどれが好き、どれが嫌い、というような、無関心層から見れば内ゲバにしか見えないようなことでも対立や嗜好の違いというのはあります。
 「この作品は不快です」という個人的表明を誰かがしたところで、それによってただちにその作品がすべて全否定されるとか、その不快を覚えた閲覧者にとって何らかの意味のある、実効力のあるような「責任」をとらざるを得なくなるとかいうような恐ろしい社会はわが国には存在しないからこそ、好きな作品、嫌いな作品というものが並立して存在できるのです。
 主要な登場人物が死んでしまう話は不快、とか、二足歩行機械が現われたら不快、とかの個人差は誰にでもあるでしょうが、そのごくごく個人的な嗜好を他人に押し付ける自由など我が国のルール上にはありません。
 自分はこう思う、こう思った、と表明すること自体はそれをもって相手にどうこうしろと命じているでも強制しているでもないので、その種の発言・発意自体もまた自由です。だからこそ、アンチや信者というようなコアな支持者・反対者もいれば、大多数の無関心な層も当たり前のように並立して存在するのです。
 その種の「多種多様な価値観・主張・感性がある」という要因を根本から破壊するような一方的な命令や自称「禁止」 をパブリックな場で垂れ流すという行為は反社会的ですらあります。

 作品をWebで公開している管理者が、ありもしない権利を声高に主張し、あれを禁止、これを禁止と身勝手なマナー以前のことを言うから、ブーメランのように閲覧者側のありもしない権利までも「責任をとる」だのとらないだのというキテレツなことをわざわざ掲出しなければならなくなるのでしょう。
 もっとも、そういうものを掲出しようがしまいが、法律や条例、公序良俗に反していないとされるものは、別に呪文を使う必要もなく自由に公開できるのが我が国にある「言論の自由」です。
 
 また、どうしても具体例が思い付かないのですが、仮に「不快だ!」と言われたところで、「とれません」と断っている「責任」とやらの中身はなんなんでしょうか?
 言われたら相手が「不快」でなくなるような作品に作り替えるのが「責任」なのでしょうか?
 あるいは、そもそも公開自体をやめることが「責任」?
 「責任をとりました」と8文字分の文字列を書くことが「責任」?
 どれも違いますし、意味のないことでしょう。
  
 強いて言えば、何らかの作品を公開する人にあるべき責任とは、誰か赤の他人の自由や権利を一方的に制限するなどという「マナー以前の問題」を不特定多数に振り向けることではなく、「言うまでもないルール・常識をなるべくわきまえておく」ことではないでしょうか。
 どうしても自分だけのルールを押し通したければ、それをしても他人の権利を侵害することのない範囲、私的プライベート空間でひっそりやるか、積極的に「私の言い分を一方的に飲む奴隷以外は対応しません」と主張して、それを飲んだ奇特な方に相手を限定するかなどの対応をすべきで、それすらやらないでいながら公道・不特定多数が往来しうる場所で「イヤなら見るな」などという主張はまるで社会性の欠如を自己宣伝している以外の何物でもありません。

 一般的に流通している映画やCD、書籍などに「不快になったとしても責任はとれません」などと表紙に書くとか「必ず初めにお読みください」の中に書いているとかいうようなものはまずお目にかかりません。
 あったところで、それを手にした消費者は「は? 責任?? なんの??どんな??」とは思うでしょうが、よほどぶっ飛んでいる人でない限り「不快だったので責任を求める!」なんて言い出さないでしょう。っていうかなんなのでしょう、この場合求められている「責任」の具体的中身って??


■「もし〜としても責任はとれません」な呪文への対案

 ただ「意味がない」と言うだけだとおもしろくないので、またしてもここでその対案を考えてみます。
 ……とはいえ、KKは普段から何かを作ったり言ったり人と話したりするときに、いちいち「もし〜としても責任はとれません」みたいな張り紙を背中や顔に貼ったりしていませんので、正直「意味がないのでやめりゃいいのに」以上のものをひり出すのはかなりのこじ付けになってしまいそうなのですが、あえてこじ付けてみましょう。
 
 「もし、当作品(当Webサイト)に触れていただいたことによってなんらかの爽快感を持たれた場合には、そのご感想をお聞かせください。その場合、責任を持って返信させていただきます」
 
 としてみましたがこれも「責任」とか「不快感」とかにこだわると結構苦しいです。
 KKとしては、不快感を覚えたという人の感性も感想のひとつとして知りたい性質なので、爽快感に限らずどんな内容のものでも、送りたいという意思がある方のものはいくらでも送っていただきたいし、それらのどれにどのような返信をするのも返信する側の選択と自由であって、それは義務でも責任でもないと思っています。なので「責任をもって返信させていただきます」という部分は「なるべく個別に返信させていただきます」としたいところです。
 しかし世の中には「不快感を覚えたという意見や、(単純ミス的な)間違いの指摘、作品のどこにどのような不足を感じたかといった部分はまったく聞きたくない。賛辞以外は誹謗中傷とみなす」とかいうお子様丸出しな主張を堂々となさっておられる方がいますので、「賛美以外一切の連絡はするな」の婉曲な表現として「爽快感」とか「どのキャラが好き、どの演技がよかったかといったお好みをお聞かせください」とかいう風にして、せめて「聞きたくないこと」を前面に出さず「聞きたいこと」を前面に出してみてはいかがでしょうか。
 まぁ、その種の婉曲表現をしようがしまいが、どこかの誰かがどこかの誰かの管理するWebサイトでどのような発言をしようとも(公序良俗・法令法律に反しない限り)自由ですから、それも意味があるかどうかと言えば「婉曲なお願い」の域を出るものではありません。その「婉曲なお願い」を非合理だと思う人や、聞き入れる必要性がないと思った人は必ずしもその「お願い」どおりに動くわけでは ないのです。
 間違っても、それを掲出したところで「不快感を持った的メールがきやがった。こいつのほうが悪い」とか思えるような護符でも呪文でもないということは言うまでもありません。

 この責任をとるとらないの部分については、KKの個人的感性として、「批判や不足部分の指摘、“ここがこうだったらもっとよかったと思う”的感想は、不特定多数に公開した時点で排除すべきではない 」という「公開側の責任」があると思っています。
 そういうのがイヤならば「クローズドネットワークまたはチラシの裏で。」ではないでしょうか。

 世間に公開されているあらゆる作品は、賛辞も否定も好きも嫌いも「Aの部分はこうだったらいいのに」も「Aの部分は作中の表現だからこそよかったのだ」もありとあらゆる感想や感性が表明されて当然だと思っています。
 
 仮に何らかの要望や要求が閲覧者・消費者からなされたところで、それを取り入れるもスルーするも否定するも参考にするのも、その作品管理者の自由です。
 「人が死んじゃう話は私の心が傷付いてショックでしたのでハッピーエンドにしてください」とか言われても、「ああ、この子はそうなのねー」と微笑ましくは思いますが、それを真に受けて「はいわかりました。責任(?)をもってあなたのショックを軽減するために作品を作り変えます」とか言い出すとなるともう、自分の親兄弟家族でもなんでもないのに要望を奴隷のように聞くことだけが「やさしさ」だと勘違いしてんじゃないのかとまずお子様扱いされるでしょう。
 「そういうご意見も当作品に寄せられたということを制作者側は 認識しました」という事実が大事で、それによって制作者側がどうするかということを制作者側の判断で決めるべきところです。
 ハッピーエンドが好きだという意見が多く寄せられたとか、次の作品はもともとハッピーエンド方向で決まっていた、とか、商業的に顧客の需要を満たすことを優先したいとか、何らかの理由があって結果的に寄せられた意見の通りの作品を次回作るということになっても、それは選択の一つであって悪いことでもなんでもありません。
 また、仮にハッピーエンド好きという意見が多く寄せられても、あくまでも自分はこの路線を次の作品でも突っ走る、ということだったり、商売じゃなくて道楽だから多数派に積極的に売り込む必要はないので必ずしもハッピーエンドで 次作品は決まりではない、とかいうことで結果的に意見を寄せてくれた方の意向や要望とかけ離れることになっても、それもまた悪いことでもなんでもありません。
 どちらも制作者の自由です。また、閲覧者や意見を寄せた方も「自分の主張を取り入れたから良い人だ」とか「取り入れなかったから悪人だ」とか「マナー違反だ」とか言い出すのもまた極めてキツいデムパです。

 となると、やはり「責任をとる」「とれません」的な文言への対案というより、「代替案」とでもいうようなまるで別物になりますが、閲覧者が不快感をもつかどうかではなく、企画者・管理者から見て、閲覧者をどのようにとらえているのかということを表明することに置き換えてみるというのはいかがでしょうか。
 冒頭にいきなり「あらゆる感想・ご意見・ご要望は聞き入れません」と表明しておけば、たまたまそこを見てくれた人なら「ああ、垂れ流す一方のオナニーサイトか」と気づいてくれて、わざわざテンプレ賛辞や、感想などを送ろうとする無駄を軽減させることができます。
 とはいえ、その企画者や企画Webサイトへは直接的に連絡がなくても、「こんなデムパがありました」とか「企画者は垂れ流し主義だけれども作品はとてもよいものだった」とかで第三者がいくらでもほかの場所で意見や感想を公開することは自由にできますから、そういった第三者の動きすらなんとかしたいということならばそもそもWWWでの公開自体を避けるべきでしょう。
 少なくとも「ご意見・ご感想をお寄せください」なのに実態は賛辞賛美以外はすべて誹謗中傷と結びつけるとかいう大ウソ掲示をするよりは、「うちのサイトは垂れ流し主義なので直接なにか連絡されてもスルーします」と明示しているほうが「不快感」だの「責任」をとるとらないだのという話より明確に公開者から見た閲覧者の位置づけというものが見えるでしょう。
 また、考え方の一つとして、外からの直接的な反応・感想をシャットアウトしたほうがよい作品が作れるという人もいます。
 ものすごいグラスハートな方や、逆に周辺からの意見や感想を雑音だと思って自分の行く道をひたすら爆走することで、才能の一部が極端に輝きだすというような制作スタイルの人もいます。
 ただ、ボイドラ業界はほとんどが複数の協力者を集めて制作されるため「ほかの聞く耳持たない」主義を通すのは自らの首を絞めることになりかねません。
 これが、一人で完結する、自分との闘いだけで積み重ねられる制作スタイルならまだしも、基本的に無償で協力を取り付けるというスタイルが前提で複数人が集まるとなると、よほど内輪・オフラインで固い結束があるとかでない限り「シャットアウト主義」は企画集団が空中分解する恐れがあります。
 個人制作か、協力者も含めて俺様の奴隷だと堂々と宣言しているのについてきてくれる奴隷に恵まれているとか、そういう方であればよいのですが、その状態というのは極めて一般的・平均的人間関係・制作スタイルからすれば異質ですから、それを閲覧者にも表明したい、強いたいのであればそのように書き出すというのはアリかもしれません。
 

終わりに
 今回取り上げなかったものの、よーく見てみればこの業界(というか同人全体?)特有の奇妙な「マナー」やら「常識」やらがいくつかまだほかにもあるようです。
 一人や二人がそうしているのではなく、「みんなしてどうしてこんなオカルト儀式じみた非効率なことやってんだろ」的なことは、前回取り上げたボイドラ声優さんの募集・選考(オーディション)に関する「マナーについて」でやりつくしたかと思っていましたが、これがまたまだまだふしぎな「業界標準」らしきものが「マナー」なのかコピペなのか、無批判に、無条件に誰もがマネしておられるようです。……と言っても、統計的にボイドラ企画Webサイトのすべてを調査したわけではないので、たまたまKKが触れた企画ばかりがヒット(謎)したに過ぎないのかもしれません。いやそう思いたいのですが。
 ボイドラ業界は、未成年が多いらしいので、多少お子様臭いところがあってもそれはそれでよいのですが、大の大人がまんまお子様丸出しのまま堂々としているとか、そういう方が他人やお子様にお子様レベルの「マナー」を他人に強要しているとかいうことが あり、そういうのを見るたびにため息が出ます。

 念のために付記しておきますが、KKが「まるでお子様のようだ」的に批判したことは、二十歳未満のリアル未成年に対してまでは適用外です。だってリアルお子様なんだもの。
 KKも未成年当時は、若気の至りみたいな失敗や勘違い、お子様丸出し論理を振りかざすなどのハズカシイ思いを重ねて大人になってきました。
 むしろリアル未成年の方々は、いろんなことを失敗覚悟でやっても大人になってしまってから同じ失敗をするよりよほど取り返しが付く時期だと思っています。
 だからKKなんぞの言い分を真に受けたり、猛反発したりというようなこともよいのですが、そもそもリアル未成年に対しては自分で納得できるまでなんでもやってみればよいという以上のことは言うつもりはありません。
 ただ、大の大人の場合は。
 「お子様のうちは世間や大人がスルーしてくれていたことでも、あんまり声高にお子様臭いことを他人に要求・命令し過ぎるとスルーしてくれなくなるぞ」という危惧を覚えざるをえません。

 ボイドラ業界の健全化を求めるとか、「業界専用マナー」を撲滅しようだとかいうような目的ではなく、あくまでも当企画に関与なさった方、あるいは作品に触れていただいた方のなかで奇特にも当企画運営スタンスを知りたいなどという方向けのものです。

 それらをまとめて、「当企画においてはきゅう氏とKKはこういうスタンスで企画進行を楽しんでいる」ということを久々に表明するためにも「ボイドラ業界標準とは向いている方向が違う」ということをこういう機会に少しでもお伝えできれば願ったりかなったりです。

 ほかはそうかもしれないが、ウチは違う。
 ということの備忘録メモとして書き連ねていますが、これはKKの感覚と感性をベースに、おおむねきゅう氏との間で合意できている「当企画ではこう」という路線を再度明示化しただけのものですので、真に受けようとスルーしようと、反論しようと、怒り狂おうと、賛同しようと、笑い転げようと、「ウチはまた別にこういう方向性なのよー!」的なものだろうと、ご意見・ご感想の範囲であればどのようなものでも大歓迎です。E-mailやWeb拍手などでぜひおよせください。
 とくに、KKが「マナー違反的」あるいは不要と断じた掲示・禁止警告などについては、「いや、そうは言っても、実はこういう効果があったんだよ」「こういう事情があるからともかく“〜は禁止”掲示はやめられません」的な体験談などをお寄せいただければものすごく参考になります。
 
 E-mailの場合はなるべく個別に対応させていただきますが、Web拍手でいただいたご意見・ご感想は個別に返信する手段がありませんので、体験記や「制作報告」などのコンテンツ上でオープンに返信させていただくこともあります。

 ではまた次回以降の「体験記」で〜。