KKからのweb拍手返信:2011年01月22日

 
 

H様

このたびは、「マナーについて」にご関心、ご感想をお寄せいただきありがとうございました。

>とある企画に応募した時ですが、「根本的にセリフ間違っている人は、落としました」というくだりを見つけました。

>脚本を手がける側としては、セリフ間違いはやはり気になりますか?

> 大事なのはイメージ、と書かれるのはもっともなんですけど、セリフ間違いとイメージを秤にかけても、やっぱり落としますか?

 一部引用しました上記質問部分にお答えするこの機会にかこつけて、KKの思うところを書かせていただきます。

 当企画(KK・きゅう氏間のユルい合意)では、セリフの読み間違い自体は選考の決定的要因にはなりません。というか、そんなもったいないもいいところの本末転倒な「選考」はしません。
 なぜなら、ボイスドラマ企画における声優さんの「選考」というのは、資格試験や学校の定期試験などと異なり「間違っているか、正確か」を「選考」するものではないからです。

 選考とは少し話がズレますが、当企画では、台本を配布した後、声優さんに収録していただく段階でも、台本の記述は絶対ではありません。声優さんのほうで「この場面はこうじゃね?」と思ってそのように演技されたという場合はそれを極力尊重します。「台本と違う」からといってそれだけをもって自動的にリテイクとなるわけではありません。
 当企画にとってのリテイクとは、リスナーにとって同じ単語の読みが揺れた場合(「手榴弾」が「てりゅうだん」になっていたり「しゅりゅうだん」になっていたりといった場合)、単に声優さんが勘違いしていた場合・あるいは台本の意図が伝わっていなかった場合(台本上、改行位置によって意味がまったく異なる単語として読めてしまう場合など)、たまたまほかの出演者の方の演技と並べて温度差があり過ぎた場合など、いずれもリスナーから見てどうかという点で必要に応じてリテイクします。
 要するに、「単純なミスや勘違いなど、やり直しできる部分は、やり直してもらえばいいじゃん」ということで、それ以外の部分において大意が台本から外れていなければ、ある程度演技アドリブ面で作ってもらったものでも「台本が改変された!」とか「台本を尊重していない!」とかそういう判断にはなりません。
 その一単語、言い回しが物語上重要な肝、伏線上重要な部分とかの場合は、極力台本どおりのセリフでお願いしますが、それにしても程度問題です。

 声優さんの選考にあたってもっとも重要なのは、「やり直してもらえばどうとでもなる部分」をもって切り捨てるのではなく、「どういう形態であれ、自分の作った物語のキャラクターをお任せするにふさわしい抜きんでた何かがあるかどうか」という部分にあるとKKは考えます。

A:募集要項通りの完璧なフォーマット、手順、内容で、誤読なく普通に演技できている。が、とくに抜きんでたもの、光るものを感じない。

B:募集要項指定外の形式、手順、内容で、誤読もあったが、明らかにほかの候補者よりぬきんでた何かがある。ほかのセリフを聞いてみたいと思わせられる。

KKの場合、迷わずBに注目します。もちろん、B:的な状態で、抜きんでた何か光るもの、特色、技術力といったものが何も感じられないのであれば、それはほかの候補者の中の一人となるだけのことです。それにしても自動的に選考外、排除というようなもったいないこと、換言すれば「選考してねえじゃんそれ」みたいな意味不明な行為はしません。


 また、選考にあたって何を重要視するかという企画者のスタンスとして「イメージ」という言葉がよく使われますが、これもKKはいろいろと思うところがあり、それだけでも膨大な量になってしまいますので(なるなよ)、ここでは簡単にKKの考えを述べます。

 「大事なのはイメージ」

 よく聞く言葉です。
 この「イメージ」、企画者個人「のみ」の、ごくごく個人的な願望のみを重要視して指すという場合がほとんどなのだなというのが、この「業界」の主流みたいです。
 それはもちろん、世界で一つだけの自分だけの企画なのだから、他人から見てどうこうなんて二の次、自分さえよければ、というごくごく個人的な「イメージ」を重視するという方が居ても別に驚くことでもありませんし、個人の自由です。
 でもそんなもの、応募しようという声優さんたちから見れば、あまりにも対策対応のしようがない五里霧中、他人の願望の中身などエスパーでもなければ見通すことができないため、応募するという多大な労力・時間をかけた行為も、企画者の脳内イメージのみで左右されてしまうということになってしまいます。なんともきわめて博打くさい、ハイリスクローリターンな行為です。
 KK個人としては、確かに、台本を書くにあたって脳内で漠然としたイメージを持っていますから、それにドンピシャな声優さんが居ればいいなーという願望は確かにあります。が、選考するにあたって、必ずしも当初のイメージと合致せずとも「なにコレすげえイイじゃん!!」な想定外のうれしい誤算じみた発見を多く経験したため、自分個人だけの漠然と抱いていた「初期イメージ」をさほど重視しなくなりました。
 仮に、ドンピシャな声優さんが居たとしても、出演者全員を理想通りの声優さんで固めるなどというようなことは、現実的にきわめて難しく、それならば企画者側が声優さんに出演の可否を打診したほうが手っ取り早いということになってしまいます。なのにKKが選考という声優さん選択の機会を持つことも重要だと考えているのは、企画者が持つ「イメージ」なんぞよりも、むしろ「イメージと合わないかも?」くらいに違うタイプの演技をなさる声優さんとの接点によって、かえってよい複合効果をもたらす可能性があると知ったからです。
 オペラでも舞台演劇でも、出演者が誰であれ、判で押したように同じものができてしまうのだとしたら、一度でもその物語を知っている人から見るとげんなりです。出演者や演出によって、同じ筋の物語でも見え方、見せ方が大きく違ってそれぞれによさが発揮できるという自由、匙加減をコントロールできるのも企画者の裁量だとKKは考えます。
 従って、KKのごくごく初期の「イメージ」にこだわって声優さんの選考をするというのは、甚だもったいない、声優さんの可能性も、それに合わせた演出へ結び付ける可能性も自ら排除してしまうということになります。
 また、ボイスドラマというのは、複数の出演者から成る場合が多く、ひとつだけが抜きんでていても、全体のハーモニーがウマく響いてくれなければ思い通りになりません。また、台本作成中の初期イメージに複数の個別演技をピッタリ合わせることなど、直接面と向かって接点がない限り不可能だとKKは考えています。
 そしてKKの経験則上、出演者同士の演技から来るハーモニーというものは、たいていが想定外で、計算して出せるというよりは偶然の産物的に産まれることが多く、それらは初期の台本作成時の「イメージ」を軽く吹き飛ばして凌駕するほどのものになっていることが往々にしてあるものなのです。
 そういうKKの個人的体験からも、今やKK「だけ」の「イメージ」なんざ重視するに値しない、と思っています。なので、選考にあたっても、ドンピシャな「イメージ」にこだわりません。
 台本配布後に到着した収録ファイルを聞くとき「!!……こ、こう来やがったか……!(ハァハァ)」みたいな得体の知れないコーフン(何)を覚えることが一番楽しく、何もかもが企画者の思惑通り、予想どおり、定型どおりの演技ばかりが戻ってきたら単なる機械作業になっちゃうよなーなどと思うのです。
 
 そのように、「イメージ」を位置付けると。
 選考にあたって、セリフの読み間違いイコール(機械的に)選考外、とする行為がどれだけムダなことをしているのかと思い、そういう企画者が多数いるのだろうなと憂慮を禁じえません。そういう選考(になっていない行為)を繰り返す企画者が居てもまあそれはその人の自由だから勝手にしろよとは思いますが、そういう企画者に振り回される応募者の方々のご苦労というか、運だめし労力というか、ともかくもう、なんとかならんのかという思いがあります。
 などとここで一人KKが憂いてみせても、世の中には現実として多数の方々がガンガン応募したり出演したりなさっておられるし、活発に活動されている方は毎回KKから見て尊敬の眼差しを向けられています。
 かようなことから、Hさんのように、ボイスドラマ企画の募集に応募しているという方には、その参加した、しようと行動している、ということ自体からまず大いに応援致します。
 KKがここでいくら応援したところでクソの役にも立ちませんが、どんな企画者に当たっても、どんな「選考」に当たっても、めげずにガンガン参加なさってほしいと切に願います。